場内が再び暗くなり、ステージのみに照明が当たった。ホ短調のブラームスの始まりである。



僕は6年前の5月4日にブルーノ・ワルターとサイモン・ラトル指揮のブラームス交響曲第1〜第4番のCDを歌の会の先輩に貸して、その後歌の会は〈事実上、終了=閉鎖〉となり開かれなくなってしまったので、取り戻すことが出来ていない。CDやBlu−ray Disc  は差し上げて良い物は僕も差し上げているが、貸したひとに鑑賞した感想も聞かずに解散して会えずにいる状態でそのままになっているCDは、セコいようだが取り戻したいのである。


ブルーノ・ワルターのブラームスは交響曲を含む相当数の曲が  SACD〈Super  Audio  CD〉化されているらしく、僕もプレイヤーがあれば60年以上前の録音とはいえ欲しいくらいである。その『ブラ4』を、

『僕が死んだら掛けて欲しい。』

と彼女に言うと、

『縁起でもないことを言わないで。』

と言われた。今のクラシック・ファンはコロンビア交響楽団とワルターの組み合わせはもちろん、ニューヨーク・フィルハーモニックとの組み合わせ、更にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーの戦時中から亡くなる1954年までの録音の中には、徳岡直樹さんのYouTubeをみると〈マニア垂涎の作品もある〉らしい。


彼女は全般的に暗い短調を嫌うので、ブラームス第4番は合うかどうか僕も不安だったが、それは杞憂に終わった。


最近、『マーク・シュマーグ・スマート』についての投稿をして、タケさんとsakura-kasagaさんからコメントがあったが、僕もヘルベルト・フォン・カラヤンとグスタフ・マーラーの〈批判ではなく〉悪口は言うし、所謂『シュマーク』を完全否定している訳ではない。そうではなくて、

1.下品であったり

2.暴力的であったり、

3.マウントを取ったりする

言い方が嫌いなのである。そのような方法で何かに対して勝ち誇ったと思うひとたちは、所詮「批評に於ける負け組なのである」。


それ故、『スネークマン・ショー』の『若い山彦の時間』、

『今のロックはさぁ~、なんていうか

いい物もある。だけど、悪い物もあるよね。』

は、永遠の名作なのである。〈引用が古くてごめんなさい〉。


グスタフ・マーラーは、ブラームス交響曲第4番を聴いて、

「空っぽな音の桟敷」

と感想を述べた〈そうで〉、彼が如何に音楽的なセンスに欠けているかは、この発言からもお分かり頂けるだろう。他人の作品のオリジナリティを無視して、作品に勝手に改訂を加える彼は、下から数えた方が早い音楽家である。現に作品番号すら付いていない彼の作品は、

「甘い。甘過ぎて反吐〈へど〉が出るほどだ。 by  オニオン砂椅子」

と言われるほど酷いものしかない。


短調で始まり短調で終わるブラ4を僕は〈多少の〉緊張感を伴い聴いていた。ホールには残響があり、〈5.1サラウンドではない〉家のCDと違ってオケの音はそれこそ四方八方から聴こえてきた。もちろん、稲城フィルハーモニーが、ウィーン・フィルハーモニーやロイヤル・コンセルトヘボウやシュタツカペーレ・ドレスデンやベルリン・フィルハーモニー等に較べて技術的に力量的に、或いは精神的に?優れている訳ではないだろう。指揮者の松田拓之さんがオケを自在に操れている訳でもないだろう。それでも、生のオーケストラには聴く価値があり、入場料や交通費、時間を掛けても足を運ぶ価値があるのである。


僕はこのホ短調の交響曲が、ヘ短調〜嬰ヘ短調に聴こえており正しく聴こえている訳ではない。だから、例えば、第1楽章の

「ド〜ラ。ファ〜レ。」

や、第4楽章の

「ファ〜。ソ〜。ラ〜〜〜ッ。」

といった表現は皆、音が狂って聴こえている。


哀しいかな、それが現実なのだ。ヨハン・セバスティアン・バッハのシャコンヌを採用した第4楽章は特に素晴らしかった。ホ短調の曲の中の、仄かに明るく冬の日の暖炉を思わせる長調の部分は金管が鳴って美しい。


曲が終わって、ワンテンポあとに300人?余りの聴衆から万雷の拍手👏と何名からか〈余り感じは良くないものの〉、

「Bravo!」

の声が上がった。2分ほどして指揮者の松田拓之さんから、

『遠いところから、わざわざありがとうございます。』

等の挨拶があり、

『アンコールは、レオノーレ序曲のオペラ「フィデリオ」より短い数分の曲ですが「行進曲」を。』

とのアナウンスがあった。


『終わった。アンケート出そうね。』

コンサート・ホールは渋滞した。

『良かったよね。』

『うん、良かった。』

『次は11月、麻生市民館だって。』

メンバーのY.Hさんが以前、

『アンケートは皆さんのが欲しいのです。』

と仰っていたようにどのオーケストラにとっても貴重な情報源らしい。


アンケートを渡し会場の外に出ると、とある男性二人組の片方から、

『ブラームスどうだった?』

ともう片方に質問があった。彼ははっきりとは答えなかったが、この曲は〈かなりのパーセンテージの〉どの指揮者の演奏を聴いてもよく聴こえる名曲である。


日野駅に行くと遠回りなので、われわれは暫くの間、バスを待って高幡不動駅に向かった。


コンサートから4日ほど経ったが、僕は家でゲオルグ・ショルティ・シカゴ交響楽団の4番を聴いたから余韻はまだ残っている。


高幡不動のバス降車場に行く際に、それまでとても大人しかったドライバーが車体をグルンと回したので乗客は身体を左手に大きく振られた。バスを降りて辺りを見回しても先ほどまで元気よく叫んでいた蓮舫さんの応援団は、もう何処にもいなかった。われわれは先発の各駅停車・新宿行きに乗り、府中で特急・新宿行きに乗り換えた。東府中では競馬オヤジ〈お前もだろッ〉はそれほど乗って来ず拍子抜けした。


調布駅に着くと、橋本駅行きの電車が遅れていたので慌てて飛び乗った。しかし、発車のチャイムには少し余裕があった。


という訳で、今回も無事に地元に戻って来たが、今日は東京都知事選挙の公示日。噂に依ると56人?ほどの立候補者がいるそうで、その殆どが当選の見込みの薄い候補だ。更には、藤井聡太・八冠がタイトル戦で初めて失冠した。これは、僕には大ニュースである。


6月23日日曜日は宝塚記念。何度も書くがドウデュースはイクイノックスほど安定してはいない。しかし、過去4勝の武豊は昨年末に較べると遥かに状態が良い。


詳しくは後ほど。