高幡不動駅・南口では、都知事選候補の蓮舫さんの運動員の演説が続いていた。
繰り返し言おう。政治〈や選挙〉にはお金が掛かる。もしも、今の何十分の1しか選挙にお金が使えなくなったら、当選するのは新人・現職含めて余程の有名人か世襲議員だけになる。それでも良いと皆さんが思うならば、『政治資金規正法』を「政治資金規制法」にして政治家の質を今よりもずーっと落とせば良いのだ。
「今よりもずーっと落ちることはない」
って? バカなことをいうんじゃない。
「悪貨は良貨を駆逐する〈グレシャムの法則〉」
ではないが、質の悪い政治家だらけにはいくらでもできる。
「誹謗・中傷・デマゴギー・嘘・偽り・フェイクニュース〈by 岩田洋一〉」
表向きお金を使わず、情報操作やデマゴギー等で大衆を騙すことは可能である、と僕の経験上は言える〈はずである〉。
国会審議と選挙は別である、といえばそれまでだが、国会では立憲民主党を中心に
『政治資金規正法』
の改正を巡って今も議論が続いており、僕のような〈昭和の人間〉は、
「政治→お金→裏金→賄賂→汚い」
という日本教職員組合の洗脳教育を〈知らず知らずのうちに〉受けているので、政治家を与野党問わずに汚い職業と心の何処かで思っている。
それは、
「オリンピック→アマチュアリズム→お金にクリーン→名誉のスポーツ→清廉潔白」
というプロスポーツはお金のため、アマチュアスポーツは名誉のためにやっている。と、これもマス・メディアや日本教職員組合が好みそうな図式であり、一見すると政治家の裏返しのように思える。
しかしながら、IOC〈国際オリンピック委員会〉ほど金に汚く政治的な組織もない。これは詰まり、お金の掛からない選挙は/が良い選挙、という言表とコインの裏表の関係にある。世の中には綺麗ごとでは済まされない問題があり、それらを隠蔽しようとすればするほど、その汚さが露呈するのである。
蓮舫さんの運動員の話しに戻ろう。彼女達、彼等は頻りに、
「蓮舫です。」
と言ってお辞儀をしていたが、本物の蓮舫さんは此処にはいないな、と僕は思った。
「給食費無償化を実現します。」
と言ってビラを配っていた。彼女が一部受け取り僕に、
『蓮舫さんって人気あるのかしら?』
と訊いた。
『さあ、あるんじゃない?』
と僕が/は答えた。
「でも、本物は此処にはいないよ。」
僕が翌日の新聞〈スポーツ紙ですみません〉で調べると、その頃本物は町田市にいた。
確かに選挙にはお金が掛かる。それを〇〇の秘密みたいにコソコソと隠すから余計にみっともなくなるのである。アメリカ🇺🇸大統領選挙のように
「何百億$?」
も掛かる選挙も異常だが、市川房枝さんや青島幸男さんのように
「お金を掛けない選挙」
もまた異常である。
1.政権与党がなかなか交代しないこと
2.〈日本国〉憲法を変えてはいけないこと・未来永劫護るべきであること
は〈小学校の教育に反して〉おかしい、と思っていた。もちろん、当時聴いていた短波放送等の知識から、
「東側〈社会主義〉体制は総評・日本教職員組合の言い分とは異なり、「独裁・恐怖政治」である。」
と見抜いており、日本社会党・日本共産党が与党になるよりも、自由民主党が増殖して、
『政権交代可能な与野党に分裂する』
ことが、将来の国会像として適当である、と僕は思っていた。
それは長いこと実現しなかったが、1993年6月の宮澤喜一内閣不信任案・可決後の
「新生党→新進党」
の流れで1955年以降初めて成立した。その後、細川護熙・連立内閣からの日本社会党の離脱、羽田孜・少数内閣からの村山富市・自・社・さ政権で元の自由民主党中心の与党に戻ってしまった。もちろん、政権交代は度々起こるべき事象であるから、このこと自体は極自然である。
しかし、民主党の結成、新進党の解体、〈小沢〉自由党の連立政権参加、公明党の連立政権参加等がありぐじゃぐじゃになった。そして、2009年の政権交代以降の話しは皆さんご存知の通りである。
もう一方の日本国憲法改正を巡る議論は、漸く国民投票法が成立し、発議云々が取り沙汰される段階であり、大規模自然災害や周辺有事の対応はできていない。
「解釈改憲〈解釈による憲法改正〉」をこれ以上続けていては、何れ仲の悪い中・朝・韓〈中国🇨🇳・北朝鮮🇰🇵・韓国🇰🇷〉にその矛盾点を突かれるだろう。公明党のような与党内野党は、
「日本国憲法改正赦すまじ」
であろうが、国民審査も経ない、安全保障について触れてもいない憲法を禁忌〈タブー〉視して未来永劫変えないという態度は、傲慢もいいところである。
日本共産党、社民党、立憲民主党〈の一部〉、公明党は神様にでもなったのかと。政情不安の中近東やウクライナにならないためには、平和を守り、日本国憲法を守ることが何よりも重要である、とは大きな勘違いである。それは政治家による政治放棄・職場放棄なのだ。
日本国内には、「外交は軍事力には依らず話し合いで。」と考えたり主張したりする議員が少なからずいるが、現実の外交は軍事力を背景に動いている。それを「軍事力をタブー視する」のは、詰まる所、
「現実をみない平和ボケ外交。」
なのである。
高幡不動駅南口には、蓮舫さんにそっくりな方が声を出したり手を振っていたりしていたが、彼女と僕は日野駅行きのバス🚌乗り場へと向かった。バスは12時45分でもう直ぐ出発する予定だった。周りには、稲城フィルハーモニーのコンサートに行くひとも多くその大半は50歳以上の中高年であった。途中、エプソン前を通ると、
『エプソンって何の会社?』
と彼女に訊かれたので、僕は
『主にプリンターだよ。』
と答えた。🚌バスはギリギリ片側一車線の細い道を通り、3年前にみた日野市役所前に着いた。
ひの煉瓦ホールには開場前ながら100人近い行列ができていて、我々はベンチでひと休みした。それもそのはず、稲城フィルハーモニーのコンサートが開場直後に満席になったことはなかった。その日も13時15分に開場したが、招待状のハガキを渡しプログラムとアンケートと他のコンサートのパンフレットを受け取りまだまだ空きのある左側の前から約10列目の席に着いた。
間もなく、例によってアナウンスがありプレ・コンサートがあり、
1.モーツァルト『アレグロ・ブリランテ』
2.ブラームス『ハンガリー舞曲第5番』
の2曲を木管三重奏で演奏するとアナウンスされた。僕はトイレの帰りにプレ・コンサートを見に行き、今日は生オーケストラとしては恐らくは初めて聴くブラームス交響曲第4番が楽しみになって来ていた。
席に戻ると、周りが客で埋まってきた。煉瓦ホールは400人くらいしか入らないようなので、そのオーディエンスは240〜320人程度だっただろうか?
チャイムが鳴り開始5分前になると、間もなくオケのメンバーがステージに現れ、コンサート・ミストレスが席に着くと拍手が起こりオーボエに依るチューニングが始まった。指揮者〈コンダクター〉は、N響ヴァイオリン奏者の松田拓之さんだった。
最初の曲はベートーヴェンの唯一のオペラ『フィデリオ』から『レオノーレ序曲第3番』。
Franz Liszt 音楽大学?????