僕はこのblogで幾度か、
『「カラヤンか? ベームか?」という2者択一は嫌いである。』
と述べている。

しかしながら、僕のような北海道の片田舎で1970年代を過ごした者にとって、ヘルベルト・フォン・カラヤンとカール・ベーム抜きに当時の音楽界は語れないし、ご両人のことは感謝すれども恨んだり貶したり〈してるか?〉することもない。僕は唯、
「あれか?これか?」や
「あれも、これも。」
が嫌いなのである。

だから、
「アルゲリッチか? ポリーニか?」
という2択も、どちらか一方を取っても良いし、どちらも取らなくても良いし、どちらも取っても良いのである。

「離接〈選言命題〉」は、ダブル・バインドの元であり、グレゴリー・ベイトソンの研究とは些か違って、
「オイディプスの一部始終である。」
とジル・ドゥルーズ=フェリックス・ガタリのふたりも述べているし、実際のところそうである、と僕も思う。

さて、マウリツィオ・ポリーニとヴィルヘルム・バックハウスのベートーヴェン・ピアノ協奏曲についてblogを書いていたら、突然ポリーニ氏の訃報が入り昨日〈3月24日〉からバタバタしてしまった。でも、予定〈は珍しく〉変更せず、次は第3番について書こうかと思う。

このピアノ協奏曲第3番ハ短調は、当初交響曲第1番と同時に初演される予定であったが、完成せず1803年にベートーヴェンの独奏で初演された。しかしながら、独奏パートは翌年、弟子のフェルディナント・リースが再演した際に改めて書き記された。それは、〈ワルトシュタイン〉や〈熱情〉同様、新たに英国から入手したエラールのピアノが背景にある。音域が拡大され新たなペダルの付いた最新式のピアノを持っていたのは当時のウィーンではベートーヴェンとハイドンしかいなかった〈そうである〉。

僕は先ほどまで、リヒテルとヘルマン・アーベントロート〈指揮〉の古いディスク〈1954.10.25〉を聴いていて、  彼のリファレンスとなるべき1962年のクルト・ザンデルリンクのハ短調協奏曲は未聴であるが、如何にもベートーヴェンらしい第1楽章のメロディは『皇帝』同様にゾクゾクする。


返す返すもリヒテルが、ト長調協奏曲と変ホ長調協奏曲『皇帝』を録音しなかったのが悔やまれる。




『イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・バックハウス独奏、シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル(1958年録音/DECCA盤) バックハウスはいかにもドイツ的なピアニストですが、必ずしもイン・テンポを厳格に刻むタイプではありません。むしろ楽想に合わせたテンポの浮遊感を感じます。しかしそこから不自然な印象は全く受けません。音楽の流れにごく自然に感じられます。この曲でもベーゼンドルファーの骨太でいて柔らかく美しい音と、‘50年代のウィーン・フィルの柔らかな音とが極上に混ざり合っています。シュミット=イッセルシュテットは殊更に迫力を求めたりはしていませんが、それでいて聴き応えは充分です。DECCAのステレオ録音も明晰で素晴らしいです。』



『スヴャトスラフ・リヒテル独奏、ザンデルリンク指揮ウイーン響(1962年録音/グラモフォン盤) まず冒頭の長い導入部のザンデルリンクの造る音楽の雄大さ、素晴らしさに圧倒されます。気宇が極めて大きく、それでいて堅牢な古典的造形性が見事だからです。ウイーン響の持つ音のしなやかさとドイツ的な厚い響きが両立しているのも最高です。リヒテルはライブの時のあの我を忘れるような高揚こそ有りませんが、立派この上なく、技術的にも安定感抜群のピアノはザンデルリンクの音楽にピタリ一致します。全体の音楽を主導するのはザンデルリンクという印象ですが、それに埋もれるようなこの人では無く、両者の協調と競演が極めて高い次元で見事にバランスが取れています。』

僕の友人のCIさんが、
『私は、ピアノをどう聴けば良いのか、よく分からない。』
と言っていたので、簡単に答える。昔、音楽評論家の渋谷陽一氏が、
『ロックバンド・ピンク・フロイドの音楽は、如何に苦痛に耐えて解放されるかを目的とした音楽である。』
という内容の文を『ロック・ミュージック進化論』を書いていたかと思う。確かに、
『原子心母』も『おせっかい』の中の〈Echoes〉も辛いメロディが流れ、それらが高まり一気に解放される類いの音楽である。分かり易くいうと、
「サビで一気に感情を爆発させる。」
「麻雀で苦労して門前で聴牌〈テンパイ〉し、立直を掛けて一発でアガる。」
といったところか?

モーツァルトでもベートーヴェンでもショパンでも、『サビに相当するところで脳内麻薬を出したら勝ちになる。』のである。



『マウリツィオ・ポリーニ独奏、ベーム指揮ウィーン・フィル(1977年録音/グラモフォン盤) ポリーニのピアニスティックな魅力は、優雅な曲想の第4番よりは「皇帝」やこの曲に発揮されるようです。研ぎ澄まされた硬質の音が好みかどうかは別にしても、一音一音の打鍵そのものに凄みが有るのは確かです。ベームの指揮に関しては、相変わらず貫禄充分でずしりとした重みを感じさせて素晴らしいです。それに、ウィーン・フィルから引出す、フォルテの引き締まった迫力ある音と、美しくしなやかな音との演奏の区分けが実に見事です。この時代のグラモフォンの録音は安心して楽しめます。』




『マウリツィオ・ポリーニ独奏、アバド/ベルリン・フィル(1992年録音/グラモフォン盤) ポリーニ15年ぶりの再録音は全曲チクルス演奏会のライブ収録です。良くも悪くも贅肉の無いポリーニのピアノに大きな違いは感じません。それでも自己主張がより明確になっているのは本人の円熟なのでしょうが、指揮者の違いも有るように思います。アバドの指揮は全体的にレガート気味で雰囲気は有りますが、ベームのような厳しさが感じられません。ベルリン・フィルの音も当然そのように聞こえます。ですので自分の好みで言えばベームとの旧録音を取ります。』



〈この項目・続く〉


今日3月26日は、1827年に亡くなったベートーヴェンの命日である。お祈りしたい方は、もし良かったら『ピアノ協奏曲第3番』を聴いて間もなく訪れるベートーヴェン・イヤーを祝って欲しい。