ベースボールのワールドシリーズや日本シリーズは、7試合4戦先取制で行われる。試合はその年の初戦をホームゲームで迎えるチームならば、
1.ホーム
2.ホーム
3.ヴィジター
4.ヴィジター
5.ヴィジター
6.ホーム
7.ホーム
の順序〈オーダー〉で行われる。どちらのチームがより多くのゲームを主催出来るかというと、両チームの実力が互角の場合
『50.5% VS 49.5%』
で初戦ホームのチームが1p有利と出た。
日本国ではセントラル・リーグとパシフィック・リーグの日本シリーズの開幕権は1年毎であるが、米国では、ワールドシリーズの開幕権はその年のオールスターゲームを勝利したリーグの優勝チームが獲得することになる。
そのことを今から30年余り前に北海道のKNさんという友人に、
「両チームの実力が互角の場合
『50.5% VS 49.5%』
で初戦ホームのチームが1p有利と出た。」
ことを説明すると、いきなり
「それじゃあ、ダメじゃん。」
と言われた。僕は、
『それは、ルールだから建前で良いのだよ。』
と言ったが、納得していない様子だった。
話題を変えよう。囲碁のプロ棋士の対局では、先手〈黒番〉に6目半のコミ〈ハンディキャップ〉が付く。素人目には、黒が白に7目勝つのはたいへんそうであるが、プロ棋士はこれで納得するらしい。もちろん、対局者の実力差が大きければ問題なく強い方が勝つ世界である。しかし〈置碁=ハンデ戦はあるにせよ〉ルール上は公平とされる。
さらに別の例を挙げたい。日本国では、競馬のハンデ戦〈ハンディキャップ・レース〉は出走するどの馬にも平等にチャンスがあるように、〈負担重量を調整する〉。これは、如何にも日本らしい。しかし、欧州ではG〈グループ〉レース〈即ち『重賞』〉はすべて定量か別定戦で、🇺🇸アメリカのハンディキャップ・レースはG〈グレード〉ワン含めて強い馬に有利だ。これは、ある一定レベル以上は、自力で助くアメリカらしい。時折、49キロや48キロの馬がハンディキャップに恵まれてそのレースまで〈or だけ〉は優勝してその後頭打ちの成績になることのある日本🗾のハンディキャップ・レースとは対照的である。
その辺、機会平等を建前とする欧米と、結果平等でないと「格差社会」とする日本国🗾との大きな違いではないのか?
「日本が世界で最も成功した社会主義国」
と言われるのも強〈あなが〉ち的外れではないと僕は思う。