もちろん競馬は〈異なるレースでの〉タイムの優劣だけでは強弱は決まらないが、2022年の東京優駿と2023年の東京優駿の勝ち時計はそれぞれ、2.21.9と2.25.2である。


プラダリアは2022年の5着馬🐴で走破タイムは2.22.8、ベラジオオペラは2023年の4着馬🐴で走破タイムは勝ったタスティエーラと同じ2.25.2である。だから、池添謙一ジョッキーから乗り替わった有馬記念でプラダリアが14着に大敗しようとも、ベラジオオペラよりも1キロ重い58キロを背負っていたとしても、5歳と4歳のレヴェル差を考えると人気ほどベラジオオペラが強い〈2.2倍と4.0倍〉とは思えなかった。


もちろんこのような『机上の計算』はすべて結果論であり、例えば過去10年の当該レースで1番人気馬が全勝していたとしてもその年のレースで1番人気馬が優勝するとは限らないのである。





来週からは、フェブラリーステークスがあり、更に再来週にはサウジ・カップデーも控えている。


競馬の予想はどんなにオカルトなものでも、今までこうだったからこれからもこうだというある種の根拠を必要とするものであり、またそうでなければ成り立たない。それは、騎手でも血統でも展開でも馬体でも馬場状態でも構わず、あるいは「タカモト方式」でも、枠順でもその日のオッズでも予想家の印でもコラムでも構わない。


そう考えると、今までオカルティックに思えた競馬予想もある意味「科学」に近く、哲学とは対立するものであると言える。


因みに井崎脩五郎先生は、プラダリアを本命にしていた。