sakura-kasaga102さんからの引用です。『展開』には『展開繋がり』で。


『「これはどうも…」という具合になってしまい、全く新しい概念の、これまでにない哲学を”一から作り直す”つもりで、今まで試行錯誤を続けて参りました。つまり…、「お金の要らない社会(非決済型社会・配給型社会)」を考えている内に、何時しか「西洋(主導型)文明・西洋形而上学・西洋哲学」と対峙するようになってしまった訳です。…しかしながら、当ブログ的には、ドゥルーズやデリダ…というより、(何故か)断然”ウィトゲンシュタイン”ではありました…。正に”ウィトゲンシュタイン的転回(言語論的転回)”が、既存の「収奪型・中央集権社会」から、今後「配給型・自律(自立)型社会」へ転換する上での、極めて重要なポイントになっていくと思われるのです…。』


『言語論的展開』というと、僕は

『現代思想1985年12月号臨時増刊

総特集ウィトゲンシュタイン』

の中のクリストファー・ノリス氏の論文?『文字の自己主張』を思い浮かべます。この論文は、後に『脱構築的展開(ディコンストラクティヴ・ターン)』として一冊のテクストに纒められます。


現在のウィトゲンシュタイン研究、分析哲学研究からすれば「甘い地点」で書かれているとは思いますが、永井均さんや鬼界彰夫さんが第一線に来る前の所謂『進捗状況』が分かって参考までに・・・。