ベートーヴェンの次は、曲の規模からも本日のメイン・プログラムのドヴォルザーク交響曲第8番。その前に、15分間の休憩時間となった。




休憩時間に隣の母子連れに、知り合いの男性が話し掛けた。内容は、今年スキー場に行ったかとか、何処其処の山に登ったかということであったが、詳しいことは覚えていない。最後に子ども〈といっても僕よりも若干、若いくらいの女性〉の方が、
『今、子どもが高3なんです。』
と言い、男性が
『なら、受験だ。』
と答えた。
『だから、今年は・・・』
間もなく、開始のチャイム〈or ブザー〉が鳴りその中年男性は去って行った。

僕は隣の母子連れに、ドヴォルザーク交響曲第8番について簡単に説明し、第9番『新世界より』よりも有名ではないが傑作であることや、『2管編成ではなく3管編成であること』、等を説明した。しかし、3管編成というのは大ウソであった。

ボヘミアン・フィルハーモニックで第7番を聴いてからも、僕はドヴォルザークの作品をよく聴いた。そんなことを考えているうちにドヴォ8が始まった。第1楽章は、やや寂しげな序奏のあとにフルートで鳥のさえずりのようなメロディーが奏でられる。第1主題はト長調で明るい音で構成される。前にも書いたが、第2主題は『蒸気機関車の走行音のように』聴こえる。


ベートーヴェンを、クルト・マズアの指揮で纏めたので、第1楽章は彼とニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で・・・。



第1楽章の終盤のトゥッティ〈全合奏〉から、音が大きく第1交響曲の10〜20倍の音は出ている。迫力があって良いが、演奏者達の耳は大丈夫なのだろうか?

第2楽章は、一転美しい緩徐楽章、ハ短調〈変ホ長調〉の和声が素晴らしい。プログラムには、
『最も独創的』
と書かれているが、ブラームスの批評と影響を受け、チャイコフスキーとも交流のあったアントニン・レオポルド・ドヴォルザークは、ボヘミア民謡はもちろん、のちにはネイティヴ・アメリカンや黒人音楽も巧みに取り入れ、
『自身の手兵』
としていった。そこは、他の作曲家が真似ようにも真似できない領域〈テリトリー〉であり、やはり『独創的』なのである。


第3楽章はボヘミア風ワルツで、ト短調〈平行調は、変ロ長調〉である。こうして、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏を聴くと、アメリカ合衆国🇺🇸もドヴォルザークの影響を受けた地のようだ。

カレル・アンチェルはドヴォ8『ドヴォルザーク交響曲第8番』をチェコ・フィルハーモニックとのセッション録音を残さなかった〈そうだ〉が、彼は『レコード』自体を軽くみていたのかも知れない。第二次世界大戦後、ソビエト連邦の影響下に入ったチェコスロバキア共和国にいたラファエル・クーベリックやカレル・アンチェルやヴァーツラフ・ノイマンはそれぞれ自国の歴史に翻弄され、内ふたりは亡命し、残るひとりは東ドイツ〈ドイツ民主共和国〉から舞い戻った。その行動については、僕の歴史観・哲学観では簡単には語れない。一方で、チェコ・フィルハーモニックは現在も存続し、今年もまた来日する。

ドヴォルザーク交響曲第8番に戻ろう。


J.S.Bach  の影響を受けたヨハネス・ブラームスのシャコンヌの技法は、『交響曲第4番第4楽章』で使われたが、アントニン・レオポルド・ドヴォルザークも、『交響曲第8番第4楽章』では『シャコンヌ』、つまり分かり易く言って『変奏曲』を作ったのである。

この『変奏曲』は、一部に
「黄金虫は、金持ちだ。」
に似ていると揶揄する声もあり、それはこの曲の価値を貶めるものではないのであるが、第1楽章の『蒸気機関車の音』と共にこの交響曲のユーモラスな部分である。

それにしてもこの楽章はメロディーの宝庫ではあるまいか? 詳しくは先日紹介したイシュトヴァーン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団やラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏や、歴代のチェコ・フィルの演奏を聴いてもらうしかないが、もしも本物志向ならば、
『10月29日〜11月4日にサントリーホールやみなとみらいホールで行われる「セミヨン・ビシュコフ指揮のチェコ・フィルハーモニック」』
のコンサートに行って頂きたい。曲の終盤の盛り上がりはこれがもしも『チェコ・フィルハーモニック』だったらと思わせるもので、Bravoはなく盛大な拍手が鳴り止まなかった。

指揮者の松田拓之〈まつだ・ひろゆき〉さんと、コンサート・ミストレスの白井妙子さんには花束💐が贈呈されて、その後はアンコール・ナンバーのアナウンスが指揮者からあった。

ポルカ『プラハの学生たちのために』


コンサートが終わり、僕はホールの外に出て、スタッフに話し掛けた。
『アンケートはwebで書きます。』
『宜しくお願いします。』
『今日は、メインプログラムがドヴォ8ということで、稲城フィルが演ると知ってから、ずーっとドヴォルザークの作品を聴いていました。
僕は、水難事故で若くして亡くなってしまったイシュトヴァーン・ケルテスと、チェコ・フィルの首席だったヴァーツラフ・ノイマン指揮のもの中心に、全集〈チクルス〉を聽いています。』
等と、スタッフにも捲〈まく〉し立ててしまったが、とにかく今はドヴォルザークの作品が聴けるのが楽しくて仕方ない。

僕は階段を1階に降りてトイレに寄り、ホールを出て『八日町1丁目』のバス停に行き、京王八王子駅行きのバスに乗った。帰りは何処もよらず、京王線に乗ると北野で乗り換えする必要がある各駅停車であった。そこで、僕は初めてスマートフォンの電源を入れて、今日の優駿牝馬〈オークス〉の結果を調べた。リバティアイランドが2着に6馬身差を着けて圧勝していた。

これならば、来週の日本ダービーも勝てそうだと思えた。最近はネットで、
「社台グループは牝馬をダービーには使わない。」
との話を聞く。しかし、今から40年前の1983年の日本ダービーでは、
『シャダイソフィアが、ミスターシービーとメジロモンスニーに挑戦したのである。』
だから先ほどの『牝馬はダービーには・・・』という話はある意味「後付け」だろう。

北野で特急新宿行きに乗り換え、東府中駅からは、競馬帰りのひととも一緒になった。3着のドゥーラを当てたひとは少なかった。調布で相模原線に乗り換え、稲城で降りると、買物をして家路に付いた。

帰って競馬を観ると、オークスはリバティアイランドの圧勝で、関心は翌週の第90回東京優駿〈日本ダービー〉に移っていた。