『ショスタコーヴィチの証言』のblogから一部を抜粋。

「さて、「ショスタコーヴィチ戦争」とは何か。



 
ショスタコーヴィチは、様々な意味で今は消滅した‘ ソ連 ’を代表する音楽家である。かつてはショスタコーヴィチと言えば‘ ソ連の体制派 ’の音楽家の代表であった。例えば、彼が作曲した十五曲の交響曲中最も有名な第五番は、「革命」とも呼ばれ、社会主義体制を讃える曲であると看做されていた。だが、現在そのように考える人はまずいない。むしろ、‘体制の受難者 ’の典型であったという意味の当時のソ連の代表者であると考えられている。
このような「転換」を齎したのは1991年のソ連の崩壊ではなかった。それに先立つ10年以上前の1979年に米国で出版された『ショスタコーヴィチの証言』がそれを惹き起こしたのである。
 
 
『ショスタコーヴィチの証言』は、晩年のショスタコーヴィチが若き音楽学者ヴォルコフに語った言葉をヴォルコフが編集し、ショスタコーヴィチ自身がその内容を確認した後、その原稿は密かに西側に持ち出され、ショスタコーヴィチの死後、米国に亡命していたヴォルコフがその英訳を出版したというのが、ヴォルコフの説明である。
出版と同時にソ連当局は、それを贋物だと述べ、家族や知人にもそう言わせたのは、当然予想される反応であり、そのことは信憑性を揺るがすものではなかった。だが、早くも出版の翌年、米国の音楽学者フェイは『証言』に疑義を呈し、その後、タラスキンが彼女に加勢をし、‘『証言』は贋作だとする ’反ヴォルコフ勢の大将となった。
 
他方、ヴォルコフ自身は、直接の反論を為さず、代わりに最近邦訳もされた『ショスタコーヴィチとスターリン』を著した。反ヴォルコフ勢と剣を交えて戦ったのは他の人々である。



 
ウェブには、この「論争」に関係する情報が、とにかくたくさんあり、どれをどう見れば良いのやら途方に暮れるが、ヴォルコフ派の闘将の一人、故イアン・マクドナルドが運営していたサイト、Music under Soviet Rule(http://www.siue.edu/~aho/musov/musov.html)には、2000年4月までの論争のまとめもあり(彼が亡くなったのは2003年)、当然ヴォルコフ派の主張を知ることも出来て便利である。このサイトは以前から気になっており、偶々最近その一部を読んで感心していた最中に、先ほど紹介したタラスキンの講演をYouTubeで見たのだから、最初に述べた私の感想も、ヴォルコフ側に偏ったものである。広く文献を渉猟した専門家の意見を見たい所だが、どこにそれがあるのやら、今はマクドナルドのサイトで感心した所をまずは綴っていきたい。
 
『証言』の真贋は論争の発端であり、今もそれは争われている。しかし、ショスタコーヴィチもヴォルコフも亡き人となった今、真相は幾ら求めても得られるものではない。
それよりもむしろ問題なのは、先程述べたショスタコーヴィチ像の「転換」に、何故『証言』という書物が必要だったのかという問題である。つまり、『証言』の出版以前は、ほとんどの西側の人間は、見れども見えず、明き盲の状態にあった訳で、何が解っていなかったからそうなってしまったのかということの方が大切だと私には思われるのである。そう考えていた私にとっては、イアン・マクドナルドのThe Question of Dissidence という文章はまことに納得の行くものであった。
 
その冒頭で彼は、『証言』の真贋は論争の本質ではないと明言する。(彼の著したThe New Shostakovichの改訂版では盟友HoとFeofanovに従って真作説を取っているが、初版では『証言』はヴォルコフの創作だという前提の上で議論を進めている)。
 
『証言』から浮かび上がるショスタコーヴィチ像は、当時のソ連の音楽家たちの多くが共有するものであったのであり、だからこそ、出版当時すでに西側に亡命していたアシュケナージやコンドラシンらの音楽家たちはそれを真作だと看做したのである。」

ロシアの政治は、帝政ロシアにしろ、ソビエト連邦にしろ、今のウラジミール・プーチン政権下の専制政治にしろ、兎角「独裁者」を生み出し易い。社会主義は、英国のような先進国から始まる、としたマルクス=エンゲルスの予言は見事に外れ、ロシア帝国や中華民国などで社会主義革命は成立した。

それはさておき、僕が左翼と宗教を批判するのをみて、
「彼は資本主義=民主主義体制を肯定しているだけなのだ。」
とは思わないでほしい。そうではなくて、僕も資本主義経済から社会主義・共産主義を経ないで、
『貨幣と言語の働きを転換する非・決済型社会への移行を考えている。』
のである。

僕がジル・ドゥルーズに倣って
1.オイディプス
2.アイデンティティ
3.ルサンチマン
4.ファシズム
を批判するのもそのためである。