マルティン・ハイデガーの哲学は、第1次世界大戦で荒廃したドイツ帝国の土地から産まれている。簡単に業績を述べよう。

もちろん、wikipediaより。




マルティン・ハイデガー
1889.9.26〜1976.5.26
 
「フライブルク大学入学当初はキリスト教神学を研究し、フランツ・ブレンターノや現象学のフッサールの他、ライプニッツ、カント、そしてヘーゲルなどのドイツ観念論やキェルケゴールやニーチェらの実存主義に強い影響を受け、アリストテレスやヘラクレイトスなどの古代ギリシア哲学の解釈などを通じて独自の存在論哲学を展開した。1927年の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試み、「存在の問い(die Seinsfrage)」を新しく打ち立てる事にその努力が向けられた。ヘルダーリンやトラークルの詩についての研究でも知られる。20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされる。その多岐に渡る成果は、ヨーロッパだけでなく、日本やラテンアメリカなど広範囲にわたって影響力を及ぼした。1930年代にナチスへ加担したこともたびたび論争を起こしている。」

ハイデガーのメッセージで最も有名なものに、
『「存在」と「存在者」の差異』
というものがある。西洋の哲学者は今まで「存在者」のことばかり語ってきて、〈存在〉のことを忘れてきた。肝腎なのは〈存在〉の方である。

そしてこの『存在論的差異』は言葉で言うことはできても決して捉えられない種類のもの所謂〈アポリア〉である。更に言えば、同様の問題をライプニッツもウィトゲンシュタインも気付いていた。それは〈例によって永井均先生に拠れば〉、ライプニッツ用語で言えば、
『神の意志と神の知性の区別は、・・・・・』
となり、ウィトゲンシュタイン風に語るならば、
『独我論の言わんとすることば言えないのだ。』
となり、中世風に言うならば、
『「これ性」は「何性」からは導かれない。』
となるのである。存在は、そのものの本質を内的に構成する要素ではない。それはむしろ外から、つまり超越神の単なる意志によって、外的に付加される外的構成要素にすぎないのである。即ち、

5.62    世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が私の世界の限界を意味することに示されている。
5.621    世界と生とはひとつである。
5.63      私は私の世界である。(ミクロコスモス)。

となる。以上、wikipediaのあとに書いたことは、このblogの読者のひとりであるsakura−kasagaさんのblogを読まないうちから、繰り返し考えて来たことである。今日は、『あらゆるアンチはその対峙する思想に本質的に囚われている。』というハイデガーのもうひとつの大切なメッセージについて語って、blogを終える予定であったが時間がなくなった。

機会あるので続きを書きたいと思う。