もはや、東京オリンピック2020は既定路線のようであるが、オリンピック開催が
「善か悪か」
は、数百年単位の視点は持てない僕ごときには当然分からない。

そもそも、前回の東京オリンピック1964で幼少の僕は、
「行進!!」
と叫んで、「興奮」していたそうであるが、大会の内容は記憶にないのでなんとも言えない。マラソンも柔道も体操もバレーボールも記憶は全て〈後付け〉である。当時は、オリンピックを開催国の昼間にやったので一部競技は生中継で観られたはずだが、記憶にないものは仕方がない。

1968メキシコ大会は観ていた記憶があるが、家のTVもモノクロ〈白黒〉TVだったし、まともな映像の記憶はない。サッカーで銅メダルを獲ったとか、マラソンで君原健二が銀メダルを獲ったとか、ニュースで観たくらいである。

家のTVがカラーに変わったのは1,969年12月で翌年には大阪万国博覧会が開かれ、1,972年2月には札幌オリンピックが開かれ〈因みに同じ月にはあさま山荘事件も起きている。〉、バイアスロンに興味を持った僕は家中を駈け回りはしゃぎ回った。アルペンスキーヤーが途轍もなくスキルを持っていることを知ったり、オーストリアのカール・シュランツがアマチュア規定に違反したとして大会から追放になったり、複合の日本選手が後半のクロスカントリーで失速して入賞を逃したり、ボブスレーやリュージュの迫力に圧倒されてしまったりした。でも、矢張り奇蹟が起きたと思ったのは70メートル級ジャンプ〈現・ノーマルヒル〉で日本の4選手中3選手が上位3位までを独占したことだった。笠谷幸生・金野昭次・青地清二の3選手が金・銀・銅メダルを獲得し日本のマスメディアは、
「日の丸飛行隊」
と絶賛したのだ。僕がそのことをどのように日記に書いたのかは記録が残っていれば良かったのであるが、一昨年に処分してしまったので残っていない。しかし、敗者を気遣う僕は、もうひとりの日本選手のことを含めて素直には喜べなかった。

そして、この頃から徐々に
「日本人さえ活躍すればそれで良いのか?」
「〈航空機事故で〉日本人さえ亡くならなければそれで良いのか?」
と思うようになっていった。

あまり長く書いても飽きられるので一旦切るが、僕はサッカー⚽ワールドカップでも日本が本大会に参加していなかった頃が懐かしい。

日本人がワールドカップ⚽本大会に出場するようになって、日本のマスメディアはワールドカップに興味を持つようになったがその多くは残念ながら、日本選手についてのことである。

元々、高校野球とオリンピックがスポーツ紙よりも好きな僕の軽蔑する「朝日のバカ新聞」は、現在、「東京オリンピック2020」の開催反対運動を特に論説は進めているらしいが、いざ開催が始まると手のひらを返したように〈日本人選手の応援〉に回るのではないかと僕は思っている。

その証拠として1,981年、名古屋が夏季オリンピック開催都市候補に立候補し、ソウルらと争って敗れた時に、反対運動を展開するためにスイスのジュネーブ?にいた日本人グループは、
「セオル」
の声を聞いた瞬間にガックリと肩を落としたという。

反対運動している深層心理が実は応援していたとはよくある話だ。そして、将来の危惧としてこの東京オリンピック2020も、〈隣国のような〉ナショナリズムに利用されてしまうのではないかということである。

特に高校野球の地域ナショナリズムとオリンピックの日本国内のナショナリズムが大好きな朝日のバカ新聞が、反対運動から一転ナショナリズムの洗脳装置とならないか心配である。