僕も「アンチ・オイディプス」がほんとうは何を言いたいかは知らない。
何千時間も読んでも、結局「ボヘミアン・ラプソディー」の歌詞のように「感じるしか」なかった。
オイディプス王の物語は、神話でも、シェークスピアでも、ゲーテでも、フローベールでも、あるいは「スター・ウォーズ」でも、さまざまな場所に表れる。人間が立派な大人になるための「感情教育」のようなものなのかも知れない。
「でも、それでほんとうに良いのか?」
それがドゥルーズ=ガタリが残したメッセージなのかも知れない。
「男はつらいよ」は、「目上と女性」に頭が上がらない分「オイディプス的」であるが、「ハチャメチャなところ」は「アンチ」にも見える。サラブレッドの生産は正に「父・システム・権力」だから「オイディプス的」であるが、ほんとうにそれだけだろうか? 下剋上や大穴の劇走の起こる「<競馬>という物語」は、只単にオイディプス王の物語とは言えない部分もあるし、『偶然・ランダム・カオス』はいい加減には扱えないとはいえ、近代の物語というよりも現代的でもある。
<以下次章>