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好きこそ物の上手なれ

人生を最高に旅しているつもりです

スーパーに買い物に行き、レジ待ちの列に並んだら、私の前で待っていた見知らぬ奥様が順番を代わってくれました。

私が買う品数が少なかったので、大量の食品をカートに入れていた奥様が「長く待たせるのも悪いから」と笑顔でおっしゃいました。

「えっ?いいんですか?すみません、ありがとうございます!」優しい人もいるものですね。

感激して二度お礼を言いました。

そういえばスーパーのレジ待ちをしていると、自分の後ろで待っているオバちゃんとかやたらと距離を詰めてきたりします。

もうオバちゃんの吐息がかかるくらいの距離で、あーいうの苦手なんです。

完全に心理学的なパーソナルスペースに踏み込んできてる。

いやいや、距離を詰めたからといって会計が早く進むわけじゃありませんから!

近すぎて嫌なので一歩離れると、オバちゃんも一歩進んで距離を詰めてくるという・・・

悪気が無いのは分かりますが・・・

たまにコンビニでおにぎりを買ったりするのですが、私はおにぎりとパスタはローソン派です。

おにぎりを食べていてふと思い出したのが子供の頃で、両親は共働きだったので、夏休みなどは、お昼ご飯が用意されていなかったんです。

当時は何とも思っていなかったのですが、いま考えたら変ですね。小学生の子供の昼食がない・・・

パンを買うお金もない・・・

という訳で、私と姉は炊飯器の御飯を適当に食べていたのですが、メインは「塩むすび」です。

手に塩をつけて、それでご飯を握って、具はあれば削った鰹節とか、梅干しとか、なんにもない時には、具の入っていない、味付けは塩だけのおにぎりだったのですが、これが美味しかったんですよ 。

そこで、コンビニのおにぎりを食べていて思うのは今のおにぎりって海苔が巻いてあるのが普通じゃないでが、海苔とかなくても、ご飯に塩だけって美味しいのに・・・

子供の頃も、台所に海苔があれば巻いて食べたこともあります。

しかし塩だけで握ったおにぎりのほうが美味しく感じていた記憶があります。

そんな幼少時代を過ごしていたので、食べ物にはとりあえず塩か醤油をかけておけばOKという人間になったのです。

この味覚はすべて親のせいです!

いつか友人たちと飲んでいたとき、アジフライになにをかけるかという話になり、ソースだ醤油だと紛糾しました。

説得力があるなと感じた友人の言葉は「だって魚だろ?生だろうが揚げていようが、魚にソースはかけないだろ?」という一言でした。

この一言に私は目から鱗が落ちるといいますか、スタンディングオベーションを送りたくなるくらい感動しました。

まあ私はもともと魚のフライにも醤油派なんですけど。

こうした説得力のある言葉を持ち合わせていなかったので、その通りだと拍手を送りました。

話が逸れましたが、おにぎりって握る力の入れ具合で美味しいかどうかが決まるというか、自分で握ってみると分かります。

一粒一粒が潰れていない、ふっくらとしたおにぎりの美味しさ!

逆にぎゅーぎゅーと米を潰してしまったおにぎりって不味いじゃないですか。

なんだか子供の頃の我が姉弟は、日常生活の中で自然とその塩梅というものをマスターしたのかもしれません。

気を抜くと形が崩れる、くらいのおにぎりが最高に美味しい!

その美味しさは昔も今も変わらず、等しく美味しいです。

「幸せ」とは、どういうものなのでしょうか?

私はよく「お前はいいよな~」、「好き勝手に生きてるよねえ~」、「幸せだよね~」などと言われることがあります。

世間的には極楽とんぼのように思われているフシがありますが、私なんて寂しい人間です。

両親もすでにいませんし、家族もいません。

周囲の人々から見た私というものは、多分ですが「持ち家で借金なし」「自由人」・・・という印象なのだと思います。

確かにその通りです。

しかし家は父親が建てたのを相続してるだけで、リフォームはしましたが築35年くらいのボロ家です。

リフォーム時に耐震工事は済ませておりますが、大地震などが来た日にはだめ、くらいには思っています。

時間の融通は効くとも言えるし、効かないとも言えます。

お客様の都合次第ですから。

自由というのは、つまり家族がいないから、ということです。

自分を不幸だとは思っていませんが、幸せだとも思っていません。

成り行き上、こうした人生なだけであり、決して望んでいる生活とは全然違います!

みんなねえ、無いモノねだりなんですよ。

隣の芝生は青く見えるものです。

独身中年ですから「寂しいヤツ」という風に言う人もいます。

むしろ独りで幸せ絶好調などという人がいたらお目にかかってみたいと思います。

それでも友人たちや、支えてくれる人がいるから生きていますし、自分のような人間でも必要としてくれる人がいる、というものを感じるからそれが励みになるといいますが・・・

旅をするのは好きですし、自分がそれを幸せと感じる部分もありますが、その旅の話を聞いてくれる人がいるのは、やはり嬉しいものです。

友人たちと「あそこが良かった」、「行く事があったらここに寄ってみたらいい」などと旅話を分かち合えるのは、やはり楽しいですね。

家族や恋人、友人関係は、無意識であってもお互いに何かを与えあっているものなのだなと。

損得なしに付き合える関係は財産ですね。

大切な人たちは大事にしなければ!

牛丼店で昼食を食べていたところ、1つ空けた席にいた20才くらいの兄さんが店員を呼び 「えーっと、牛丼の~」って、あんたいま食ったばかりだろっ!

私が入店した時点ですでに何か食べていましたから。

牛丼2杯か、若者の食欲は凄いですね。

私も10代の頃に、カツカレーと生姜焼き定食とチャーシュー麵のどれを食べるか悩み、ひとつに決められなかったため、すべて頼んだことがあります。

定食屋のオバさんに「大丈夫?」と心配されましたが、苦しみながらも完食しました。

それでもあの頃は太りませんでしたからね。

いまでは見ただけでお腹いっぱいになります。