我が家に「ひとくちにわか くろだこ」という小冊子があった。
それは随分前から知っていたと思うが、今日初めて手に取った。
中身をパラっと見て驚き!私の叔父が発行者となっている。
著者は御田良清さんという太宰府天満宮の神主。博多にわか振興会が昭和32年に発足し、その翌年の発行である。発行者が安恒 篤、これが私の母の兄、つまり叔父である。
あとがきから、抜粋しよう。
出版に関しては、筑紫ヶ岡高校(元筑紫中学)第十一回卒業の同窓生である秀巧社の専務間茂樹君、装幀カットに九州漫画協会員末田時夫君、発行については親友の安恒篤君が、その任に当たって呉れた。母校を去って十五年、それぞれの特技をもつ社会人として巣立った同窓の旧友が、再びこの冊子の中に顔を投じ、暖い魂の広場を見出すことができたということは著者として実にうれしい。
(抜粋、ここまで)
また、文学博士 伊木寿一氏の推薦の言葉には、…… とかく、滅びやすい郷土の方言を将来に残す点に、より以上の意義が認められる。……
とある。
叔父は、旧制中学から、当時は日本全国から志の高いエリートが集う上海大学に入学したが、病気により止む無く中退したと聞く。私が物心ついた時には、太宰府天満宮の社務所に勤務しており、勤め上げた人だ。



地元愛の強い、また母校愛の強い小生として、ほのかな嬉しい気持ちとなり、すでに故人となつている叔父に改めて敬意を持って偲ばれる。
それは随分前から知っていたと思うが、今日初めて手に取った。
中身をパラっと見て驚き!私の叔父が発行者となっている。
著者は御田良清さんという太宰府天満宮の神主。博多にわか振興会が昭和32年に発足し、その翌年の発行である。発行者が安恒 篤、これが私の母の兄、つまり叔父である。
あとがきから、抜粋しよう。
出版に関しては、筑紫ヶ岡高校(元筑紫中学)第十一回卒業の同窓生である秀巧社の専務間茂樹君、装幀カットに九州漫画協会員末田時夫君、発行については親友の安恒篤君が、その任に当たって呉れた。母校を去って十五年、それぞれの特技をもつ社会人として巣立った同窓の旧友が、再びこの冊子の中に顔を投じ、暖い魂の広場を見出すことができたということは著者として実にうれしい。
(抜粋、ここまで)
また、文学博士 伊木寿一氏の推薦の言葉には、…… とかく、滅びやすい郷土の方言を将来に残す点に、より以上の意義が認められる。……
とある。
叔父は、旧制中学から、当時は日本全国から志の高いエリートが集う上海大学に入学したが、病気により止む無く中退したと聞く。私が物心ついた時には、太宰府天満宮の社務所に勤務しており、勤め上げた人だ。



地元愛の強い、また母校愛の強い小生として、ほのかな嬉しい気持ちとなり、すでに故人となつている叔父に改めて敬意を持って偲ばれる。