こんな記事がある。
20代の40パーセント弱 シンプル携帯「支持」の意外
http://news.biglobe.ne.jp/social/jc_081004_6466654648.html
WEBマーケティングの落とし穴は、WEB領域の開発や販売プロモーションの最前線にいる人々の意向が支配的であり、パブリシティリリースされる見出しだけを頼りに、開発の方向性を判断しがちである。
しかし、実際のユーザー側の意向がとらえられているかという実態把握については、大きなギャップがありそうだ。
テレビなど旧媒体でも
既存メディア(旧媒体とでも言おうか、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)の支持層も狭くなっている一方で、視聴者サービスをあれこれ進めているものの、視聴者とは完全に乖離してしまっている。旧媒体側でとらえることができるのは、視聴率(ビデオリサーチ社がトップシェア)と、視聴者(読者)が直接寄せる意見がメインとなっており、これらを頼りにしすぎるので、大きく歪んでしまう。
テレビで言うところの視聴質が重要だなどと20年以上も前から言われながら、スポンサーありき、視聴率至上主義が前提でのチャラチャラした番組や低俗な番組が増え続け、低俗化はさらに進行中だ。見ている方も不幸だが、流している側が自分たちの低俗化の進行に気づいていないことは、もっと不幸だ。
これらの議論は、市場主義に従うとする市場崇拝論に席巻されているようだが、マスメディアは市場絶対支配でいいのか。見なければいいという問題ではない。無料で垂れ流される番組を、社会の在り方、道徳、人間社会での所作などをこれから身に付けていこうとする幼児から青少年まで、または無防備な大人たちに垂れ流される現実をどう見れば良いのか。市場主義だけでマスコミを片づけてはいけない。
裸の王様!・・・進路を見誤る畏れ
そこで、この携帯電話の話に戻るが、先のJ-CASTニュースによれば・・・(以下引用、前略)
多機能化が進む一方で、「最低限の機能があればいい」というシンプル携帯派が20歳代のうち4割近くにのぼることがネット調査でわかった。・・・(後略)
とある。ネットリサーチであるから、回答者はどちらかと言えば、ネット文化に親しんでいる度合いが強い方の人たちだと推察できる。ネット利用への習熟度が低い人たちの率は総回答数の中では少ないと考えられ、市場総数から言うならば、「最低限の機能があればいい」とする実際の率はもっと高く、筆者の推論では5割超の6割ぐらいになりそうだ。さらに女性はそれを上回る見込みだ。
つまり小生が言いたいことは、業界にいてその最前線に従事する人たちは、つい自分たちと自分たちに直接反応してくる情報を頼りにする傾向が高くなり、自らの進路を見誤る可能性を常に孕むということだ。
つまり裸の王様!
様々な経験をした企業、組織との違い
成功体験を一たび持てば、驕りの気持ちが湧いてくるもの人情だ。
平家物語にも・・・
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。・・・中略・・・おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
・・・と無常感を著し、また戒めている。
テレビなどマスコミや、また新たに台頭したネット側もおごれる者。生活者たちを支配しているかのような錯覚の虚構にいる。テレビの収益悪化がバブルが弾けて以来起こり、彼らの初体験だったろうが、それ以降の変化がはなはだしく、サブプライム問題からリーマンショック以降の金融恐慌が起こって以降、さらにおかしな状態に変遷してきている。
大きな問題は顧客(お金を払う人=スポンサー)と視聴者(利用者)が一致しないシステムの中で利益追求を要求されるマスコミ、ネットビジネスは自らの本質を見極める努力すら怠っているのではないかという点だ。
市場であり、社会文化であり、国家・地域であり、生活であるといった様々な要素に晒されている自覚をしっかり持って、経営に取り組まねばならないと考える。
彼らは、情報ビッグバンの今日社会において、社会の変化、ユーザー、生活者の現状把握をシビアに行った上で、どのように道を作るのか真剣に考えねばならない。