先週土曜日の深夜番組『有吉反省会』に、
新聞の番組欄に名前があったので録画してあった。
宇徳敬子と聞いてピーンとこない人でも、
あーあー、とわかる人も多いのでは?
『おどるポンポコリン』のB.B.クイーンズのバックコーラス隊でデビューし、
後に、そのコーラス隊で上記のMi-Keとして活躍した後、
さらに、宇徳敬子としてソロデビューした。
90年代に世の中を席巻したビーイングを支えた1人だ。
当時のビーイング系女性アーティストは、本当に美人さんだらけだった。TVに出なかったけどね(笑)
自分も大好きで、Mi-Ke時代から結構CDを買ったものだ。
実は、この宇徳敬子の存在は、ZARD誕生にも大きく関係してる。関係してるというより、宇徳敬子がいたからZARDは誕生した。
1990年8月(ZARD誕生半年前)にB.B.クイーンズのバックコーラスのオーディションが行われ、泉水さん(当時本名でモデル活動中)も参加してたのだが、
先に宇徳敬子が合格してたものだから、
「美人キャラ」で被るという理由で、泉水さんは落ちることとなった。
それでも、その美貌と歌声は長戸プロデューサーの脳裏にくっきりと刻み込まれ、
直後に依頼が来たドラマ主題歌に、「この前のあの子でいこう!」と泉水さんを抜擢したのだ。
それが、
1991年2月10日発売、
ZARDデビューシングル
Good-bye My Loneliness
となる。
同じ1967年生まれの2人。
歌手を夢見て芸能界に入りながらも、皮肉にも「美人」であるがために、モデル・グラビアといった容姿を売りにした仕事ばかりだった2人。
しかも2人は同じ事務所に所属してた。
そして、同じチャンスが舞い込んできた2人。
2人にどれほどの接点があったのかは知らないが、
運命の糸で結ばれてるんじゃないかと思うくらい共通点のあった2人。
もし、先にオーディションを受けてたのが泉水さんの方だったら、いったいどうなってたんだろ???
泉水さんがMi-Keだった???笑
その場合、長戸さんは宇徳敬子にもドラマ主題歌の抜擢をしてたのだろうか???
いやー、やっぱり
Mi-Keは宇徳敬子しか考えられないし
ZARDは坂井泉水しか考えられない。
運命は2人を最高に輝ける道へ導いてくれたんだな。
50歳を過ぎてもまだまだ美しい姿のままで、アーティスト活動を続けてるらしい。
泉水さんと関わりのあった人が現在(いま)でも頑張ってる姿を見ると、
なんだかとっても嬉しい気持ちになるよ。
そうかぁ、もう泉水さんの生歌を聴くことは叶わないが、宇徳ちゃんの生歌を聴くチャンスはまだまだあるんだな。
コロナが落ち着いたら、ライブに行こう!!
現在のライブもあるよ!