《新たなる挑戦に向けて編》
1年以上かけて挑んできた「サブ4」を達成することができ、次はどんな目標を掲げるか悩んでいた。
運動音痴を自覚してるので、「これ以上タイムを追求するのは無理だ」という気持ちはあったので、そうなったら「距離かなぁ」・・・「ウルトラ挑戦」という気持ちがうっすら湧いてきた。
周りのラン友を見渡しても、とてつもない大会に出てるランナーがたくさんいる。それまで全く知らなかった世界の話しを耳にすることが増え、少しづつだが「その世界を見てみたい」という気持ちになっていった。
ただ安易に踏み込むことはできなかった。まだまだフルマラソンを走るのにヒィヒィハァハァ言ってる自分が『ウルトラ』を走れるのか?そのための練習をする時間が確保できるのか?仕事や家庭に負担をかけてしまわないのか?・・・、いろんな不安が頭をよぎった。
ウルトラの経験者が口を揃えていうのが、「フルでタイムを追求するよりも、ウルトラはゆっくりのんびり走れるから楽」とのこと。「そんなもんなんだろうか?」「とは言え、距離が距離やからなぁ」と、なかなか踏ん切りがつかなかったので、手始めに10月13日にある『龍馬脱藩マラソン』にエントリーした。
この『龍馬脱藩マラソン』は、フルマラソンの大会ではあるが、高知と愛媛の県境を走る激坂オンパレードの過酷なコース。「このコースをタイムを気にせず走って、どのくらい余力が残るか試してみよう」という目的だった。
結果はタイムは気にしてなかったとはいえ、夏場の練習不足と想像以上に過酷なコースに苦戦し、4時間50分11秒と惨敗だった。しかし、ゴール後から翌日にかけての体へのダメージはほとんどなく、「そこそこ強くはなってきてるな」と実感することができた。
そして、それから一週間後の10月20日に『四万十ウルトラマラソン』が開催された。数名のラン友が出場するとあって、家族連れで応援に行った。
61km地点の「カヌー館」で応援したのだが、懸命に駆けてくるランナーを見て、ただただ「すごい」と思った。「すごい」しかなかった。「フルマラソンにプラス20kmも走ってるのかぁ」「さらにここからまだ40km走るのかぁ」、そう考えると「この人たちはなんてすごいんだ!」と胸が熱くなってきた。
そんなすごいランナーの中に親交のあるMしゃんとRべさんがいた。二人ともフルマラソンのレベルは自分とそれほど変わらないレベル、そのうえ女性・・・、その二人が懸命に挑戦してる姿を見て、「ウルトラは挑戦することそのものに価値がある」と思えた。「そうだ、自分もどうなるかわからないが、とにかくまずは挑戦してみよう!」と、この時決断した。
挑戦の場として、翌年の6月7日に開催される『しまなみ海道100kmウルトラ遠足』を選んだ。選んだ最大の理由は、他の大会と違って「土曜日開催」という点だ。初のウルトラ挑戦なので、走った翌日の体の状態の想像がつかないため、翌日確実に休める土曜日開催というのがありがたかった。
ちょうどこの頃2月に2週続けて行なわれる『愛媛マラソン』『高知龍馬マラソン』の両方のエントリーに立て続けに当選したので、「いい機会だ、ウルトラに向けての練習のためにも、2週連続でフルマラソンを走ろう!」と決めた。
そうしてウルトラ挑戦への道を歩みはじめた。
つづく
iPhoneからの投稿
1年以上かけて挑んできた「サブ4」を達成することができ、次はどんな目標を掲げるか悩んでいた。
運動音痴を自覚してるので、「これ以上タイムを追求するのは無理だ」という気持ちはあったので、そうなったら「距離かなぁ」・・・「ウルトラ挑戦」という気持ちがうっすら湧いてきた。
周りのラン友を見渡しても、とてつもない大会に出てるランナーがたくさんいる。それまで全く知らなかった世界の話しを耳にすることが増え、少しづつだが「その世界を見てみたい」という気持ちになっていった。
ただ安易に踏み込むことはできなかった。まだまだフルマラソンを走るのにヒィヒィハァハァ言ってる自分が『ウルトラ』を走れるのか?そのための練習をする時間が確保できるのか?仕事や家庭に負担をかけてしまわないのか?・・・、いろんな不安が頭をよぎった。
ウルトラの経験者が口を揃えていうのが、「フルでタイムを追求するよりも、ウルトラはゆっくりのんびり走れるから楽」とのこと。「そんなもんなんだろうか?」「とは言え、距離が距離やからなぁ」と、なかなか踏ん切りがつかなかったので、手始めに10月13日にある『龍馬脱藩マラソン』にエントリーした。
この『龍馬脱藩マラソン』は、フルマラソンの大会ではあるが、高知と愛媛の県境を走る激坂オンパレードの過酷なコース。「このコースをタイムを気にせず走って、どのくらい余力が残るか試してみよう」という目的だった。
結果はタイムは気にしてなかったとはいえ、夏場の練習不足と想像以上に過酷なコースに苦戦し、4時間50分11秒と惨敗だった。しかし、ゴール後から翌日にかけての体へのダメージはほとんどなく、「そこそこ強くはなってきてるな」と実感することができた。
そして、それから一週間後の10月20日に『四万十ウルトラマラソン』が開催された。数名のラン友が出場するとあって、家族連れで応援に行った。
61km地点の「カヌー館」で応援したのだが、懸命に駆けてくるランナーを見て、ただただ「すごい」と思った。「すごい」しかなかった。「フルマラソンにプラス20kmも走ってるのかぁ」「さらにここからまだ40km走るのかぁ」、そう考えると「この人たちはなんてすごいんだ!」と胸が熱くなってきた。
そんなすごいランナーの中に親交のあるMしゃんとRべさんがいた。二人ともフルマラソンのレベルは自分とそれほど変わらないレベル、そのうえ女性・・・、その二人が懸命に挑戦してる姿を見て、「ウルトラは挑戦することそのものに価値がある」と思えた。「そうだ、自分もどうなるかわからないが、とにかくまずは挑戦してみよう!」と、この時決断した。
挑戦の場として、翌年の6月7日に開催される『しまなみ海道100kmウルトラ遠足』を選んだ。選んだ最大の理由は、他の大会と違って「土曜日開催」という点だ。初のウルトラ挑戦なので、走った翌日の体の状態の想像がつかないため、翌日確実に休める土曜日開催というのがありがたかった。
ちょうどこの頃2月に2週続けて行なわれる『愛媛マラソン』『高知龍馬マラソン』の両方のエントリーに立て続けに当選したので、「いい機会だ、ウルトラに向けての練習のためにも、2週連続でフルマラソンを走ろう!」と決めた。
そうしてウルトラ挑戦への道を歩みはじめた。
つづく
iPhoneからの投稿