《はじめての屈辱編》

たくさんのランナーと交流したことにより、私の心の中にある言葉が植え付けられた。「サブ4」という言葉だ。

それまで私自身の中でタイムを意識することはなかった。前回の「4時間6分14秒」というタイムにかなり満足しており、これからは年一回『愛媛マラソン』を楽しく走れればいいな、というくらいの気持ちだった。

しかし、多くのランナーが「サブ4」をすごく意識してるのを知って驚いた。4時間を切るのと切らないのとでは大きな差があるらしい。確かに以前までの愛媛マラソンの制限時間は4時間だった。それから言うと自分はまだ完走できてない・・・。そう考えると「自分も4時間切りたいな」と思うようになった。

そして迎えた2012年2月5日『第50回愛媛マラソン』。記念大会ということで、ゲストランナーは高橋尚子だった。そして、元プロ野球選手の古田敦也も招かれていた。目標を
一、サブ4!
一、高橋尚子とハイタッチする!
一、古田敦也に勝つ!
と設定してスタートした。

今回はスタートラインまでのロスは約2分だった。例年より練習量は多かったし、体重も1kg落とせていたので快調に走れた。7km地点あたりで古田を「遠いところからご苦労様です!」と挨拶しながら抜き、15km地点あたりで4時間のペースランナーを抜いた。ハーフを1時間58分で通過し、第2折り返しの地点では4時間のペースランナーはかなり後方にいた。「サブ4、いける!」と確信したが、この時点で大きなミスをしていることにまだ気づいていなかった。

30km地点を2時間47分で通過したが、このあたりからお腹が苦しくて力が入らなくなってくる。「今までにも経験ある、大丈夫だ、あとキロ6分ペースでいいんだ」と言い聞かせて足を出し続けた。しかし、段々手もしびれてくる・・・、35km地点は3時間16分で通過した。「まだいける!」

ますますしびれが強くなり力が入らなくなってきたのでウエストポーチに入れてあったアメをとろうとしたが、なんと力が入らなくてポーチをあけれない・・・。懸命に堀江からの坂を上り切ったところでとうとう足が止まった・・・。「少し休めばまた走れるはず」と思って歩いていたがどんどん体中の力が入らなくなっていく・・・、「ハンガーノック」だった。

今回サブ4を狙うため「少しでも体は軽い方がいいだろう」と朝ご飯をいつもより少なめにしていた。レースに入ってからもタイムを意識するあまり1秒2秒をケチって、前半エイドでの食べ物補給をしてなかった。そのための完全なるエネルギー切れだった。

平田に下ったとこで4時間のペースランナーに「あと少し、頑張ってくださ~い!」と言われながら抜かれた。ついて行きたい!追いつきたい!追い抜きたい!と思いながらも体は動かない・・・歩くので精一杯。沿道からも、「がんばれ~」「歩くな~」「走れ~」と声をかけられるが、歩くので精一杯。

ゴールで家族が待ってるから、せめてゴールまでには辿り着かなければと必死で歩き、なんとかゴールすることはできた。タイムは、4時間14分58秒・・・

ゴール後とにかく空腹を満たしたかった。いもたきと豚汁をいただくと、みるみる元気になった。おもわず「35kmからやり直したぁい!」と叫んでいた。

家に帰ってお風呂に浸かると悔しさがこみ上げてきた。サブ4を達成できなかったのもそうだが、歩いてしまったことが悔しくてたまらなかった。子供の頃から運動神経が悪かったので、スポーツで結果が出なくて「悔しい」なんて思ったことなどなかったのだが、生まれてはじめてスポーツで「悔しい!」という感情を経験した。

そして一年後の「サブ4達成」を心に誓った。


つづく


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