gcc01474のブログ -11ページ目

gcc01474のブログ

ブログの説明を入力します。

    脳循環代謝不全を起こしていた解離性健忘と転換性障害の1女性例

                              *


<抄録>
 脳シンチグラフにより低脳血流を示した解離性健忘と転換性障害の歩行不能を起こした1女性例を経験した。症例は友人と夜飲み歩き、朝、自宅に帰宅したとき、夫より平手打ちを顔面に一回受け、解離性健忘と転換性障害の歩行不能を起こし本脳神経外科へ救急車にて搬入される。
 症例は働き者で身体が大きく力持ちな夫を持つ54歳になる主婦である。症例は派手好きであり、女友達と夜飲み歩くことを頻繁に行う。14年前、夫人が夕食の支度も何も行わず、女友達と飲み歩き、朝帰りしたとき、夫は平手打ちを夫人に一回振るい、夫は体格良く、非常に力が強いためもあり、顎の骨が折れ、大学病院にて手術を受ける。また、12年前、同じく女友達と夜飲み歩き、夫の夜の食事も造っておらず、朝帰りしたとき、夫から脇腹を殴られ、肋骨にひびが入ったこともある。
 症例は入院中も病院の食事を摂らず、すべて近くの料理屋に食事を注文していた。主治医である筆者がその我が儘を指摘すると夜には一人息子が来院し、筆者を激しく非難する。症例および一人息子が夫の乱暴などを激しく筆者に語るが、夫は仕事一途な真面目な男性である。
 症例は自然食に凝っており、医薬品は服薬することを好まない。入院10日後、解離性健忘と転換性障害の歩行不能は突然寛解する。入院当日、脳シンチグラフに現れた脳血流低下は解離性健忘と転換性障害に依るものと思われ、入院11日後、退院となった。

【key words】dissociative amnesia, conversion disorder, personality disorders, cerebral scintigraph, cerebral bllod flow

【症例】54歳、女性。
家族歴;症例および一人息子にパーソナリティ障害を感じ取れる。
頭部CT;特記すべき所見なし。
頭部MRI;特記すべき所見なし。
神経学的所見;全身的にやや腱反射亢進。
脳波;特記すべき所見なし。
血液・生化学的所見;特記すべき所見なし。
脳シンチグラフ;脳全般性に血流の低下が激しい(写真1)。
 朝、救急車で運ばれてきた。友人とお酒を飲み、朝帰りしたとき、玄関で夫から頬を殴られ転倒し、それ以来、起立不能、意識ももうろう状態であった。
 頭部CT上、出血はなく、脳梗塞が考えられた。しかし54歳と若く、経過から脳梗塞という診断は付けがたかった。一応、脳梗塞としての脳血栓溶解剤が投与された。
 両足両手の挙上と後屈も出来ることから脳梗塞は考え難かった。眼球および小脳の神経学的所見は正常であった。転換性障害が考えられた。
 症例は一人娘であり、甘やかされて育てられてきたと夫は言う。
 夫は4歳年上であり、見合い結婚。子供は男子1名設けるのみ。この出産時、帝王切開であった。夫は医薬品メーカーの営業を行っており、日曜日もお得意先とのゴルフの接待などを行うのが常である。
 症例は結婚当初より派手好きであり、高価な服、高価な指輪などを夫に購入させる。海外旅行も症例が主張し、ヨーロッパなどに3回旅行する。
 症例の年齢は54歳。頭部CT上、特記すべき所見なし。神経学的に全ての腱反射がやや亢進している他は特記すべき所見なし。ほぼ中肉中背で、やや脂肪太りの体型。性格は活発で気が強い。夫との間にかなりの確執があったと主張する。しかし、症例は過去および現在も2週に1度ほど、夕食の支度もせず、飲み仲間と朝まで飲み歩いている。筆者は、症例の我が儘である割合がかなり高いと判断。夫は医薬品販売会社に長年勤務する59歳の仕事一筋の主任。症例は夫の我が儘で一方的な性格を非常に非難する。
 14年前、夫人が夕食の支度も何も行わず、飲み仲間と飲み歩き、朝帰りしたとき、夫は平手打ちを夫人に一回振るい、夫は体格良く、非常に力が強いためもあり、顎の骨が折れ、大学病院にて手術を受ける。
 また、その2年後にも同じように飲み歩いて朝帰りの夫人を夫が一回殴り、肋骨にひびが入ったこともある。
 30歳前後の一人息子は父親を非難し、母親の味方をするが、一人息子にも我が儘で気の強いところが強く見受けられた。しかし、今まで、夫が夫人に暴力を振るったのは今朝のを含み、この3回しかないと一人息子も認める。
 脳波上も特記すべき所見なし。入院当日に行った脳シンチグラフにて脳循環代謝不全が見つけられた(写真1)。(写真2・写真3はcontrol )
 入院後、解離性健忘症と転換性障害の歩行不能との診断の元、bromazepam 8mg/日(朝、昼、夕、眠前、2mgづつ4回)投与。
 入院10日目、解離性健忘症と転換性障害の歩行不能は突然寛解。退院とする。しかし、それからも、一人息子を連れ来院し、夫の勝手気儘さを詰ること数回あり。一人息子も母親の主張を支持するが、夕食の支度もしないで朝まで飲み歩く行為を止めないことは社会的通念に反する、と説得。
 症例は『夫が暴力を振るうのでそれがストレスになりノイローゼになった。』と陳述する。
 夫は『暴力は、確かに12年前、食事も造らず朝まで飲み歩いていたときには短気を起こし脇腹を殴ってしまい肋骨を折ることをしてしまいました。また、その2年前にも食事も造らず朝まで飲み歩いていたとき頬を殴り顎の骨を折ることをしました。その他は暴力は少なくとも今回までここ12年間は振るったことはありません。』と陳述する。
 一人息子は結婚して別居している。しかし次のように陳述する。『親父が悪いのです。親父があの力持ちですから以前、母の肋骨を折って、母は1ヶ月、大学病院に入院しました。顎の骨を折って入院したこともあります。とんでもない親父です。あなたはそんな親父の味方をするのですか?』
 筆者は症例と一人息子にパーソナリティ障害を感じる。夫は短気なところが有るが、症例や一人息子のような異常性は感じられない。
 また次のことが判明した。7年前に福岡の中心街から離れた郊外に一軒家を建てそこに親子3人と夫の母親を加えた4人で生活を始めた。息子が結婚して家を出てより、夫婦と夫の母親の3人で暮らしている。夫の母親は元気であり、町内会の老人クラブの中心的存在であり、家に居ることは少ない。昼間は家には症例一人となる。症例は絵を描くことが趣味であった。その趣味を行うように夫は勧めるが症例は昼間はテレビを見て過ごすのが常である。運動するようにも夫は勧めるが、症例はテレビを見てばかりで運動は全く行おうとはしない。夫は仕事から帰ってくるのが毎日夜の10時過ぎであり、帰宅したときには疲れ切っており、症例との会話は少ない。夫は帰宅してからは食事して風呂に入り少しテレビを見て寝るだけで精一杯である。

【考察】    
 “解離性健忘と転換性障害”を発症したのは、そういう不平不満が蓄積されていた故、またそのパーソナリティ障害故、夫の暴力をトリガーとして発症したと考えられる。
 脳梗塞は発症後2日経過しないと梗塞部位が頭部CTに撮影されないが、脳シンチグラフであれば脳梗塞発症直後に梗塞部位が撮影・同定される。
 本脳神経外科は脳シンチグラフは頻繁に撮っており、撮影ミスは考えにくい(写真1)。症例は薬剤はほとんど服薬しないという厳格な自然食主義であり薬剤性の脳血流低下は考えられない。また厳格な自然食主義で脳血流低下が起こることは考えられない。

【文献】
1) Black DN, Seritan AL, Taber KH et al.:Conversion hysteria; lessons from functional imaging.J Neuropsychiatry clin Neurosci, 16(3), 2004
2) Krem MM:Motor conversion disorders reviewed from a neuropsychiatric perspective.J Clin Psychiatry. Jun;65(6), 783-70, 2004
3) Shen,W., Bowman, E.S. and Markhand, O.N.: Presenting the diagnosis of pseudoseizure.Neurology, 40; 756-769, 1990.
4) Schonfeld-Lecuona C, Connemann B J, Hose A et el.:Conversion disorders.From neurobiology to treatment ;Nervenarzt , july; 75(7):619-27, 2004
5) Stone J, Sharpe M, Binger M: Motor conversion symptoms and pseudoseizures : a comparison of clinical characteristic.Psychosomatics. Nov-Dec; 45(6), 2004
6)Snaith, P. :Somatoform and dissociative disorders. In :(ed.), snaith, P. clinical Nourosis. 2nd ed. Oxford Medical puburiations, Oxford Medical Publications, Oxford, 138-164, 1991.
7)山口成良:偽発作. 鈴木二郎、山内俊雄編:てんかん.臨床精神医学講座:中山書店、東京、72-81, 1998.

----------------------------------------------------------------------------------------
脳循環代謝不全を起こしていた解離性健忘と転換性障害の一女性例
A case of dissociative amnesia and conversion disorder of woman with a declease of cerebral blood flow.


http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html

【研究と報告】
        
       方言による幻聴の研究


                         



【抄録】
 統合失調症として入院していた68歳の男性が多飲水のため隔離室に閉居させられたとき幻聴発生する。それは全く知らない男性の幻聴であった。このときまで症例に幻聴は無かった。逸脱行為のため統合失調症と診断され入院となり40年が経過していた。
 人格は充分保たれており、接触性も良く、抗精神病薬の投与量も比較的少量であった。その方言は症例が生まれ育ち統合失調症が発症した地方には無い、現在、入院している病院の入院患者の大多数を占める地方の方言であった。

【key words】hallucination, shizophrenia,

【症例】
 68歳、男性
 長崎県の北端、韓国と日本の間に位置する人口約2千人の島である対馬の農家に生まれ、そこで生育する。7人兄弟の4男である。27歳時に現在の病院に入院するまで対馬より出たことは無い。
 母親の弟が、統合失調症として入院し亡くなるまで精神病院に入院していた。他に精神疾患の血縁は居ない。
 ほとんど手の掛からない穏和な子供であった。人と喧嘩した記憶が無いほどである。小学校・中学校の成績は良い方であった。特記すべき病歴は無い。
 22歳時、結婚し子供を2人儲ける。発症まで真面目に農業に従事していた。
 27歳時、突然、仕事を行わなくなる。何もしないで呆然として毎日を送るようになる。周囲より精神科を受診させられる。対馬には精神病院が無いため、長崎県の南部に位置する現在の精神病院へ入院となる。
 経過は良好であったが、家族の精神疾患への偏見強く、27歳時の入院より外泊・退院などは全くない。面会も全く無く、2人の子供には『父は死んだ』と告げられていた。
 X-2年7月、多飲水のため隔離室へ監禁される。このとき幻聴出現する。これまでは症例に幻聴は無かった。妄想・幻視・意欲低下などは無い。レクレーションにも進んで参加している。

【症例の陳述】(以下は症例の日記を元に書いている。日付順に書き込んである。)
 それは見知らぬ男性の幻聴で、女性の幻聴も時折り聞こえて来ます。大部分はその男性の幻聴で、女性の幻聴はたまにしか聞こえて来ません。女性の幻聴は厳しくなくイライラさせられることは有りません。その男性の年齢は60歳ほどと思われます。
 私の過去を詳しく知っているのです。私しか知らないようなことまでも。
 また、私の親戚関係も詳しく知っているのです。まるで、私のようなのです。
 夜の9時に運動のため廊下を何回も往復して歩行しますが、9時の消灯のチャイムが鳴ると消灯ですから他の人に迷惑を掛けるので歩行を中止しなければ成りません。そのとき『回数が足りない、もっと歩け!』と私を叱るのです。そして私とそいつが喧嘩をします。確かにもっと歩いた方が運動になって体に良いのでしょうけど。
 朝、いつも6時頃、目覚めますが、そのときは聞こえません。朝食が始まる7時頃から聞こえ始めます。夜、寝る前、『今夜は何時に目覚めるぞ!』と言われ、そしてそのとおりの時間に目覚めてしまいます。自分が暗示に罹っているような感じです。
 口調が良くないのです。そのため、イライラしてしまいます。見知らない男性の幻聴です。頭がこう下がってしまうのも、その幻聴がさせているのです。頭をこのように下げなければならないと厳しい口調で言うのです。以前、よく廊下に倒れていたのも、その幻聴の為です。
『おまえが死ぬと自分まで死んでしまう、だから命は大切にしろ!』と言います。
 カラオケの時は『00の歌を歌え!』と言うのですが、私がその命令を無視して私の好きな歌を歌うと『また体が曲がるぞ。何故、00の歌を歌わないんだ?』と言います。
『T先生の診察は受けるな! T先生の診察を受けると、また体が曲がるぞ!』と言います。そうしてそのようになってしまいます。
『おるが』と言うのです。『おるが言うことを聞かぬと、また体を曲げてしまうぞ!』と言います。
 そんなに悪い人ではありません。しかし口調が悪いのでイライラさせられます。
 おやつのことにも口を挟みます。『それは取るな。こっちの方を取れ!』と言われます。
『おかずは全部食べて良いが、ご飯は半分残せ!』と言うためご飯は半分残しています。
 大便のためトイレに入っていて『隣には00が居る』と言うのですが、その通りなのです。
『トイレに男子トイレは満員だから女子トイレに入れ! 言うことを聞かないと、また体を曲げるぞ!』と言います。しかし女子トイレには入れません。
『BはヤクザだからBとは付き合うな! CやDと付き合え!』というように私の交友関係にまで口を出すのです。Bはヤクザではありません。
 幻聴にイライラして何もかもぶっ壊したい気持ちによく成るのです。幻聴が私の頭を痺れさせることが良くあります。そういうとき微熱があります。
 食事の時も『これを先に食べろ。これは後で食べろ!』と良く言われます。
『Fさんにアイスクリームをやれ(与えろ、の意)』と言われて仕方なくFさんにアイスクリームをやり、今日はアイスクリームを食べられませんでした。
 風呂に入るときも『右足から湯に浸かれ。左足からは浸かるな!』とまで言われるのです。
 私が屈み込むようにして歩くのは幻聴がさせているのです。幻聴が私の体を曲げるのです。
 水の飲み過ぎを良く注意させられます。その点は幻聴が正しいのです。
『Yがおまえの悪口を言っている。Yを殴れ!』『Xがおまえを見て薄ら笑いを浮かべている。Xを殴れ!』とも言われます。
『Zのシーツ交換を手伝ってやれ。』と良いことも言います。
 昨夜は幻聴から眠剤を貰わせられました。そして『半分、吐き出せ!』と言われました。
 昨日は幻聴が『俺を怒らすと足腰立たんようになる!』と脅かされました。
 今朝はミカンを食べたら体が勝手にダンスをして困りました。
 昨日は『幻聴が小便を飲め!』と言って困りました。こんなことを言うのは始めてのことです。また『廊下を一周して来い!』とも言われ、そのように廊下を一周しました。
 今日は頭が痺れるのです。幻聴がしていることは解っています。
『今日の風呂は一番最後に入れ!』と言われ、その通りにしました。
 昨夜の夜歩きは幻聴があまりうるさいので適当に歩きました。
 昨日は幻聴がサングラスを捨てろと言うのが気に掛かって夜歩きは適当にしました。
 今日、トイレに入ると幻聴が『何をしやがる、しくされ、この馬鹿が!』と繰り返し言われました。そして『同じトイレだが隣にしやがれ!』と言われました。
 幻聴が『このアホが、このアホが』と言う。トイレも自由にさせない。『トイレットペーパーを持って来い、持って来い』と何回も言われた。
 幻聴がトイレも自由にさせない。幻聴がいろいろ言うので腹が立つ。
 俺の幻聴は横着だ。自分の言うようにしないと怒る。自分のことしか考えていない。
 幻聴、俺にかまうな! 今日も朝から幻聴がうるさい。
 俺にかまうな、幻聴。やってみろ、いつでも死ぬぞ!
 幻聴、起こしてみろ、いつでも死ぬぞ!
 うるさい。俺は今日死ぬ! 俺にかまうな! 
 幻聴がいろいろ言うので、今日の夜歩きは、控えめにしておく。
 幻聴、俺にかまうな! うるさい、早く消えろ!
 
***(以上は、日記からの抜き出し。以降はカルテからの抜き出し。)***


*****(これ以前のカルテは無い)*****

(Xー2年1月2日)
ーー前より眠れるようになりました。リスミーを飲んでから、よく眠れます。
 足が…よく歩けません。足の全体なのです。(ズボンの替わりに特別なズボンをはいている)

*****(3月8日に多飲水を行っている。このとき尿失禁もあり。)*****

(Xー2年3月21日)
ーー体は悪くはありません。夜も前よりは眠れるようになりました。

(Xー2年4月7日)
ーー体重が元に戻ってきているんですが。46kgに決められていて、それを守るのに……私は腸閉塞と胃潰瘍。今は胃潰瘍は胃の痛みはないですね。胸が痛んだりも無いです。

(Xー2年5月20日)
ーー前よりはよく眠れるようになりました。夜は眠剤が9時になって貰いまして10時に寝ます。昔はトイレに行ったら、そのあと眠れませんでしたが、今はトイレに行った後も良く眠れるようになりました。トイレが気にならなくなりました。
 朝は平均で4時ぐらいに起きます。そしてすぐに布団を畳みます。眠たいから昼寝をしていることもあります。1時間くらいです。

(Xー2年6月4日)
ーーときどき頭が痛くなるんで、ときどきクスリを貰うんですが、そのためか体が怠いです。
 睡眠時間は気にならないようになりました。眠たいときは昼寝します。
 幻聴が朝から晩まであるんです。それで今、苦しんでいます。男は男ですが解りません。金切り声で。

(Xー2年7月9日)
ーー手足が言うことを聞かないときがあります。歩いとって手足がストップしてしまうことあります。

(Xー2年8月6日)
ーー歩きよって体がストップします。そして前後左右に足が行きます。酷いときは足が一回転します。
 トイレに入っていてトイレットペーパーを取って来い、取って来い、と言うんです。

(Xー2年9月3日)
ーー幻聴がうるさくてイライラするんです。誰の声か解らん男の声で、いろいろ指図をしたりするのです。トイレに入っていて『トイレットペーパーを取ってこい。取ってきたら便が出る。取って来なかったら便が出ない』と言うんです。
 そして体が急に止まったり、歩いているときに、そして左へ右へ行くんです。しょっちゅうではないんですが、たまになるんです。

(Xー2年10月1日)
ーー幻聴がだんだん酷くなってきます。2,3人の声です。全く知らない声です。いろいろ命令するんです。『ひげを剃れ!』と言うから、ひげを剃ったら『もう一回剃れ!』と言うのです。そして『また剃れ!』と言うんです。そして人との対話がイライラして苦しくなるんです。食事中、聞こえるんです。悪いことは言わんですが、あんまりクドクド言うもんですからイライラするんです。スムーズに歩けんのです。海の中を歩いているように…転びはしませんが。同じことをーー靴下の色まで指図するんです。2人一緒に言うんです。それに従わなかったらケンカするぞ、おまえの金玉が飛び出るぞ、と言うんです。うんざりしてノートに書くんです。そして、それを消せ、という声があるんです。言葉遣いが悪い。『このバカが、このアホが』と続けるもんですからね。無視しても言ってくる。下唇にホクロがあるでしょ。ここに居る、と言うんです。クスリを増やしてください。

(Xー2年11月11日)
ーー幻聴、まだ有ります。でも少し軽くなりました。命令する声、男の声ですが、誰だか解りません。かん高い声です。これはここ2,3ヶ月前から聞こえるようになりました。水を飲みすぎて死に損なったんです。そして個室に入ったんです。それから聞こえ始めたんです。食事の時間によく聞こえます。体が急に止まったり、左に行ったり右に行ったりします。でも廊下を歩いているときは大丈夫です。体が後ろに行ったりします。

(Xー2年12月3日)
ーーいろいろ聞こえます。今も聞こえます。男の声です。全然、知らない人ですよ。一日中、聞こえるんです。『こんちくしょう』『こんちくしょう』と言うので機嫌の悪いときはイライラします。
 夜中に目が覚めます。寝付きは良いんですが、2時頃、目が覚めます。全く知らない人です。『こんちくしょう、こんちくしょう』が多いです。『友達が悪くなっているから電話せろ』とかも言うんです。
 水を飲んで危篤状態になって個室に入ってから聞こえ始めました。思い出したんですが、これを飲むと『体の良くなる』という声が聞こえて、それで6リットルも水を飲むようになったんです。
 3人ぐらいの男の人の声です。

(Xー1年2月11日)
ーー先生の診察を受けろ、と言われました。私は幻聴から左右されてパンツとバスタオルを何回も何回も言うもんですから壊してしまいました。
『おはようございます、と言え!』とも言うんですが。私自身、発狂するのではないかと思うのです。3人分、聞こえます。みんな男です。全然知らない人ばかりです。
 そして眠るのが長く掛かるのです。それに途切れ途切れに眠るようになりました。途中で目が覚めるようになりました。このときも声は聞こえます。『廊下を歩いて来い』とか言うんです。でもそのときは人の迷惑になるんで歩きに行きません。廊下を歩く回数が少ないと言うんです。私は20回ぐらい歩いているのですが、3回ぐらいしか歩いていないように言うんです。私は廊下を歩くノートを取っていますが『今日も夕べも3回ぐらいしか歩いてないじゃないか』と言うんです。足が痛いので休んだら怒るんですね。『ごはんを食べ過ぎる』と言うんです。『ごはんを半分に減らせ、減らせ』と言うんです。
 去年の11月ぐらいから聞こえるようになりましたから、もう疲れました。
 この声は対人関係に気を遣ってくれます。私はつき合いが悪いものですから。

*****(月に少なくとも2度は精神療法を行っているが適当に略している)*****

(Xー1年9月16日)
 今も聞こえていました。自分たちの悪口を言うんじゃなかろうか、先生にですね。そう聞こえました。ご飯を食べるときもトイレに入っているときも聞こえるんです。トイレに入っていて隣に入っている人を教えるんです。そしてそれが当たっているんです。言葉遣いは悪いですけど、心はそんなに悪くないような、『かんしゃく起こすな』と言うんです。『私が好きだから、こういうふうに言うんだぞ』と聞こえるんです。
『あいさつをしろ』と言います。『サングラスをはずせ』と言うんです。今もやっぱり頭を押さえられて、ベットに倒されたり、足がストップしたりします。『あと何秒でなる』と言うと、そのとおりなります。食事も『あんまり食べるな、半分残せ』と言います。昔は全部食べていたのに『半分残せ』と言うんです。おかずは全部食べることが多いです。食べているときに『もう満腹やからハシを置け』と言うんです。壁にもたれてしまうのは幻聴のためです。スムーズに歩けなくなるんです。幻聴が怒ったらですね。『おかずにも命があるんだから、30分したら便が出るかもしれんからトイレに行け』と言うんです。
『この人に近寄るな。叩き殺されるぞ』と言うのです。
『前の人を見てみろ。いい貫禄をしているから手を出すな』と言うのです。

(Xー1年9月22日)
ーー今まで『先生の診察を受けるな。自分の悪口を言うから先生の診察を受けるな』と40から50歳の男の声です。40ですかね。
『おまえが亡くなったら自分も亡くなるんだから。おまえが亡くなったら、とりつく人間が居なくなるから困ってるんだ』と言います。日記をつけよるときも一緒になって『ここは書き直せ』とか言うんです。怒ると酷いんですね。体がストップするぞ、とか脅すんです。

(Xー1年9月30日)
ーーはい、今まで聞こえておりました。この部屋に入ったら聞こえなくなりました。ここで喋ったことを向こうは知っているんです。唇と頭のてっぺんのところに居るようなんです。悪くない方の2つの方も少しは聞こえます。男ですが、3人から4人になりました。全部、男なんです。よく喋りかけてくるのは怒ったら酷いんです。怒ったら『あと3秒か2秒で体がこうなるぞ』と言われたら、そうなるんです。体が曲がってしまうんです。そして歩けなくなってしまうんです。
 対人関係も『あの男とは付き合うな』とか言います。
 カラオケ行ったとき『この歌を歌え』と言うんです。帰ってきたら『何故、歌わんかったか!』と言うんです。怒るんです。

(Xー1年10月6日)
ーー同じように聞こえます。先生の診察は受けるな、と言います。彼は私の親戚関係を全部解っているんです。良いことも言います。いろいろ指図をするんです。この人に挨拶をしろ、とか、この人とは付き合うな、とか。
 食事のときもごはんを半分しか食べるな、と言います。
 廊下を歩くのはずっと続けています。声は『無理するな』とも言います。
 カラオケに行って、私が歌うと、いろいろ文句を言います。

(Xー1年10月14日)
ーーいつも通り聞こえます。カラオケで『この歌を歌え』と言うんです。でも『何で歌わんかったか!』と言うんです。『新宿の女』という歌がありますが、それを歌え、と言うんですね。『新宿の女』という歌です。細川たかしが歌っていた歌ですかね。
 他の声も聞こえます。正確には2人の声が聞こえます。
『右を向け、左を向け』とか聞こえるんです。
 もう一つの声は、しつこくはないんです。
 主な一つの声がしつこいんです。
 もう一つの声の方も男の声です。
 女の声は滅多に聞こえません。
 起きなさい、と聞こえました。

(Xー1年10月20日)
ーー今まで聞こえておりました。先生の診察を受けるな、俺たちの悪口を言うから先生の診察は受けるな、と聞こえていました。
『おいが、言うことを聞かないときは……とよく言います』
 時間に間に合うように起こしてくれます。
 朝は言わんですが『明日、何時に起こしに来るから』と言うんですね。今日は7時半頃、起きました。
 3時半頃、一回起きました。
『おるが』と言います。『おいが』ではありません。
 パンツの色まで指図します。
 いいときもあるんです。『運動会に参加せろ』と言ったり
 幻聴のおかげで『カラオケ』にも行くようになりましたし、『あれ歌え、これ歌え』と言うんですけど、後で怒られるんです。
 
(X年1月27日)
ーー相変わらずです。今まで聞こえていました。27歳の時、交通事故を起こしました。対馬でです。山が多くて川が多いものですから。バスと離合するときに左側に転びました。
 幻聴は先生の診察を受けたら4,5日足腰が立たなくなるぞ、と言うんです。前は忠告でしたが、今では脅迫のようになっているんです。脅すんです。ふらついたり一寸気味にしか歩けないようになってきたんです。夜間、廊下を歩くときは『あの辺りを回って来い』と言います。カラオケを歌うときも『あれを歌え、これを歌え』それを歌わなかったら怒るんです。

(X年2月3日)
ーー『先生の診察を受けるな! 受けると一週間、足腰が立たなくなるぞ』と言うんです。
 幻聴が2人ぐらいに減りました。元からの幻聴がずーっと続いています。主な人は一人です。みんな男性です。全く知らない人です。一人を除いたら悪くはありません。その一人もそんなに悪くはないんですけど、この頃、酷くなりました。『大変なことが起こるぞ!』とか言って。
 
(X年2月24日)
 歩くのももどかしいほど歩くのが阻害されている。
ーー今も聞こえています。T先生の診察を受けると何ヶ月か足腰が立たなくなるぞ、といつも脅かされます。今朝も体が倒れるので30分ほど横になっていました。
 幻聴が入ったら手足が動かないようになります。
『あと何秒で動かなくなるぞ!』と言われるとそのようになるのです。このように体が揺れるのも幻聴がさせているのです。
 良くない幻聴は一人です。『T先生の診察もK先生の診察も受けるな!』と言うんです。

【考察】
『おるが』とは「俺が」という00・00地方の方言である。この幻聴は症例の統合失調症発症とは関係なく、多飲水のため個室閉居の時に由来するものと考えられる。すなわち多飲水のため個室閉居の時の憑依現象と考えられる。症例の入院する原因となった統合失調症とは関係のないものと考えられる。
 症例には他にもう一人、女性の声が聞こえるときがある。それは寂しげな未だ若い女性である。この女性の声は症例が統合失調症を発症したときから聞こえていた。すなわち、症例の統合失調症の病因となるのは、その若い女性と思われる。その若い女性の姿や表情が見えるときが統合失調症発症当時から時折あるという。
 その女性はほとんど語りかけてくることはない。ただ、時折、寂しげな表情で症例を覗き込むように見つめているときがあるという。
 その寂しげな表情は症例を時折、呆然とさせる。何かを訴えたい仕草が感じ取れるという。しかし、その言いたいことが何なのか分からないという。
 症例は時折、その無言の若い女性に問いかける。しかし、女性は答えない。そして、音もなく何処か解らない空間に消えてゆく。



http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html


** Japan
微小脳基底核部梗塞と思われる「片手でベットを叩く動作」「強迫行為」に対しclonazepam とpromethazine が著効した一例

                                    
【抄録】
 片手で物を打つような仕草に対しclonazepam とpromethazine が著効した症例を経験した。症例は61歳、女性。26歳発症とされる統合失調症の患者であり、精神症状は良好にコントロールされており退院も可能であったが、身寄りがないため本院長期入院となっていた。
 3ヶ月前に haloperidol 12mg/日から haloperidol 9mg/日に減量になっていた。しかし抗コリン薬の減量はなく trihexyphenidyl 6mg/日が続けられていた。
 clonazepam を投与。症状は劇的に改善した。

【症例】
70歳、女性
(family history)
 母親が50台で乳ガンのため亡くなっている。また、父親が胃癌にて69歳で死亡。その他に特記すべきことなし。
(present illness)
 5人兄弟の第3子である。20歳頃、発病。それ以来、精神病院入退院を繰り返す。結婚歴は無し。発病初期の頃(20歳時)、昏迷状態となり、それが20日から30日続いたことがある。
 今回の発症は3月17日頃と推定される。3月15日のカルテの記載には「下の旧病院では女性患者ばかりで何も心配すること無かった。新病院に移ってから男性患者と一緒になり男性患者さんは大声で怒鳴ったり側に近寄ってくれば怖ろしくて恐いです。」という発言有り。
 3月18日のカルテには、午後4時30分、同室患者より「苦しい」と言っている知らせ有り。体温37.2℃、pulse 113/min, sp02 98%, 血圧130/68 mmgh。
 午後7時には体温36.9 ℃、Pulse 84/min, 血圧128/74 mmgh。
「左手でベットを叩く動作が止まらない」と言うことで朝8時、呼び出しがある。駆け付けると、左手でベットを叩く動作を続けていた。「何故、叩いているのですか?」と問うと「手が勝手に動く」と答える。表情は険しくなく、精神状態は良好であった。左手を持ち動作を強制的に止めようとすると簡単に止まるが、制止していた手を離すと再び手で物を打つ動作を再開する。
 同室者に依ると、3日前より、夜間、手で枕元の何かを払いのける動作を繰り返していたという。また、1週間ほど前より、同室内で他患同士が喧嘩をし、それがストレスになっていたのではないか、という。
 朝食を食べていないため、朝食を食べたいと同患者は言う。「でも、これでは食べられないでしょうね。」とも言う。
 朝食の場所に連れてゆくと、右利きであり、物を打つ動作を行っているのは左手であるため、箸を握るのは可能と思われたが、右手に箸を持たせようとすると、今度は右手も物を打つ動作を行ない始める。朝食を無理矢理に食べさせようとすると精神的圧迫となり払いのける動作が激しくなるようであった。
 一旦、病室に戻すも「朝食を食べたい、お腹が減っている」という。再び、食堂に連れて行くも、前回と同じく払いのける動作が活発になる。涙を流すなど感情失禁は見られなく、精神状態は終始、比較的穏やかであった。しばらくして抱えるようにして食堂へ連れてゆく。しかし自分の配膳の分を取ることが出来ない。看護婦さんが代わりに症例の配膳の分を取ってきて症例の前に置いた。食べようとスプーンを動かすがスプーンががくがく震えて口元に持ってゆくのがやっとであった。
 朝食を無理矢理に食べさせようとすると精神的圧迫となり払いのける動作が激しくなるようであった。
 パーキンソンニズムを疑い、抗コリン薬の筋注を行うことも考えたが、てんかんの一種と考えclonazepam 経口1mg 投与。すると次第に手で払いのける動作が止んでくる。
 午後3時、再び訪問したときには、その動作は止んでおり、症例は筆者に感謝の言葉を繰り返し述べる。食事は全量摂取したと言う。ただ、足元がふらつくと言う。
 clonazepam の効果も10時間ほどしか効かない。翌日、再び激しく両手でベットを叩いている。至急にclonazepam 2mg/日(朝・夕分2)の投与を開始する。30分ほどすると手で払いのけるような動作は止む。 trihexyphenidyl を一日6mgより12mgへ増量する。
 clonazepam は主任さん管理とする。一日どうしてでも2錠飲ませないと落ち着かないという。微熱が2週間ほど前より続いていた。何に依る発熱かは解らなく、精査は行っていない。咽喉頭痛はない。
 微熱を止めるため、cabergoline 0.25mg/日を開始したが、ほとんど効果は見られなかった。筋肉の緊張による発熱と推測された。
  
 3月19日早朝6時半、表情冴えない。行動も鈍い。体温37.2 ℃、pulse 88/min. respiration rate 20/min. 血圧110/66 mmgh。「何も出来ない、何も抱えることが出来ない。」というも同室の患者さんが代わりに布団を畳んでくれたと言い喜んでいるが、表情に微笑み無い。

 3月21日午前8時40分、自室前にて腰が痛いと腰を曲げ泣いている。「腰が痛いですか?」と問うと泣きながら「腰が痛いです。私はもう何も出来ません。みんなの役に立っていません。」と言う。
 午前10時、腰痛持続にて「腰痛訴え泣いている」と同室患者より知らせ有り。整形外科医師受診。「骨がポキポキして痛い」と訴えるがN病院への紹介に対しては拒否される。
 16時40分、自室ベット脇に立ち、身体を上下に揺らすようにして独語している。どうしたのですかと問うと「腰は痛くない。何がなんだか解りません」と繰り返し述べる。腰が痛いなら横になるよう促すも「何がなんだか解りません」と言う。
 19時30分、自室にてベット上、座床している。「腰はどうですか? 痛みますか?」と問うと「痛いです。何故かは知らないですど痛いです。」と述べる。

 3月22日午前7時、「腰はどうですか? 夜は眠れましたか?」と問うと「今は痛くなかです。夜も良く眠れました」という。
 同日15時00分、お風呂に入るよう準備しているにも、タンスの前で足踏みしている。「お風呂に入りましょうか?」と言うも拒否をする。表情暗く落ち込み気味である。
 同日17時30分、ベット上で何も被らず寝転んで寒そうにしている。気分問うも「何も解るんごとなったとですと小声で訴え、上腕を挙げたまま動かさない。
 同日、午後20時35分。「薬を変えてからこんなにおかしくなったとですよ。」と言われる。

 3月23日7時、「薬を変えられて、こんなにおかしくなったのですよ。」と言う。「今まで錠剤の入ってなかったのに、それが入ってから何も解らないようになった」「錠剤は前から入っていました。粉薬が減ったぐらいです。気にしすぎではないですか?」と言うも「薬を変えてからこんなにおかしくなったのですよ。」と言われる。
 17時、ベット上に正座している。体調・気分問うと「わからないですね。」と言って俯く。
 22時、「小水を漏らしました」と女子トイレより言われる。

 3月24日午前7時、昨日は自室にてラジオ体操をしている。「昨日の夜は小水を漏らしてしまいました」と薄笑いしながら話される。「昨日の夜は小水をしかぶってしまいました。」と苦笑いしながら話される。
 午前8時、左手を挙げ、上下に動かし続け、朝食を食べようとしない。「左手を動かすのは故意にではないか?」と言われ苦顔表情を見せる。結局、朝食は食べず。「御飯は食べることができません」「御飯は食べることができません」と繰り返し言われる。
 朝食拒否のためカロリアン200ml服用する。「おいしかったです。これはカロリアンでしょう。知っていますよ。」と話される。
 10時、筆者初診。ベット上で正座し、ベットを叩いたり両上肢を大きく動かしベットを叩いたり、両手挙上時、両上肢を大きく動かし腕を廻したりしている。clonazepam (1)1錠投与。コップを持って救湯器までお湯を汲みに行って「御飯を食べます」と言いナース室に来るも「やはり食べることができません」と言われる。
 12時、昼食全量摂取。「ふるえは止まりましたか?」「もう良くなりました」と笑顔を見せる。
 15時、廊下を歩行中、看護者に会うと、良くなったけれども、また手が勝手に動くようになりましたと言われ右手を降るグルグル廻す動作を見せるも、すぐに辞める。    

 3月25日午前6時、ベットにて座床して折り紙を折っている。「気分はどうですか?」と質問すると「いえ、どうもありません」と答える。「何かありましたか?」と問うと「何もありません」と言い、折り紙を折り続ける。
 8時15分。トイレ横の廊下に立ち、両上肢をしきりに上下させている。「どうしたんですか?」と問うも「自然と手が動く」と言い、上肢上下させる。話し掛けると一時は止まるが再び同様の動作有り。朝食問うも「食べませんでした」と答える。
 10時10分。ベット上に座り、しきりに上肢を上下されている。「わざとしていないのですけど」と答える。「朝食は食べましたか?」「今朝も昨日の朝も食べなかった。手が動いて食べられないのですよ」と言い、もっぱら片手を上下させたり両上肢を上下させる。「こんなことは始めてですか?」「入院以来、始めてです」と言い、対応ははっきりしている。
 11時30分。両手を廻している。意識的に行っているのではないと言われる。「何も出来ません。川瀬さんが怖ろしい」と呟かれる。「私は304号に居ました。日向さんから追い出されたのです。ここの部屋が良いのです。何処にも行きません。川瀬さんは足が悪いのでモップの掃除しかできないと言います。」
「川瀬さんの言葉が強いときがあるので、そのようなときに怖ろしいと感じるのでしょうか?」「恐ろしいですよ。川瀬さんが。」と言われる。
 15時00分。自室ベットに臥床している。お風呂に入ったのか尋ねる。
「風呂に入って擦って貰いました。両手を上下に動かしベットをばたばたと叩いている。勝手に手が動くんです」と表情硬い。
 18時、夕食、全量摂取。
 自室でベットサイドに立ち気分はかなり良いようである。
 両手を上下に動かし、両大腿部内出血を認める。
 18時30分、自室でベットサイドに立ち気分は大変良いように見受ける。
 「体の調子はどうですか?」
 「だいぶん良いです。歩くときフラッとします。身体が勝手に動いたりするのですよ。」等と言い、有り難うございますと頭を下げられる。
 21時、「朝ご飯を食べられんやったからカロリアンを飲ませてください。夕食は食べたけど、お腹が空いた」と来詰。カロリアン1本飲用。

 3月26日、午前6時。「洗面をしようか」と言っても「できません」と身体を上下に動かし表情硬くして洗面器やコップを持ち出そうとすると怒ってしまう。
 8時。「食事食べ切れません」と言い、また身体を上下に動かし、摂取せず。
 9時30分。表情冴えず、自室ベットに座っている。「何も出来ません。手が動くのはわざとでは無いのですよ。」clonazepam (1mg)1錠摂取。
 11時。腹部チェックに訪室すると手を上下する運動はなく、「便はいっぱい出ました」と落ち着いて話されている。
 19時、自室にてベットに座床している。活気なし。「自分のことで精一杯で何も出来ません」と小声で言う。表情冴えず。

 3月27日、午前6時半。訪室するとベットの横に立ち両手を上下に動かしている。「布団を畳み切らんとですよ。何もできんです。」その後、両手の上下運動治まる。
 午前8時。「朝食食べきれない」と言うことで拒食される。
 午前8時20分、朝食拒食のためカロリアン1本飲用さす。
 午前10時、ベットに坐り、両手を上下に動かしている。本人は「勝手に手が動きます。わざとではないんです。」と表情冴えず、
 午前11時、訪室すると「お腹は塚添さんが見てくれました。」と微笑に言われるも次第に両手で両膝を突き出し「一生懸命しているんです」と流涙し出す。しばらくすると落ち着き、タオルで涙を拭いている。
 午前12時、身体を上下に動かしたり、両手を動かしたり、「食べたいけど食べれないのですよ。」と訴える。
 午後2時、自室ベットに臥床し「トイレに行きたいのですけど行けないのです。痛い。痛い。」と繰り返し起き上がろうとする。「背中が痛いですか?」「背中が痛い。背中が痛い。」と言い、そのまま床に寝転んでしまう。「わざとではないのです」と言う。
 午後3時、「痛い。背中が痛い。」と小声にて言っている。側臥位にて過ごしている。
 整形外科の先生に見て貰うも「シップで様子を見てください」と言われる。
 午後6時、「夕食は食べきれない」と食堂まで来るもすぐ自室へ戻る。食器が持てないと言われる。表情暗く、会話途中でときどき両手を上下に動かす行為がしばらく続くも治まる。
 夕食介助にて促す。「食べきれない」と拒否気味だったがスプーンで御飯を口近く持ってゆくと、すぐ開け食べる。途中より自分から「御飯を下さい」と要求され全量摂取される。
 腰が痛いと椅子よりずり落ちるように身体を持ってゆかれる。シップ交換する。「自分で立ってゆけない」と訴えるが、しばらくするとしっかりした足取りで自室に帰る。
 午後6時30分。体温37.1℃、pulse 90。腰が痛いと眉間にしわを寄せて言う。
 午後7時半。「布団が敷けません。布団を敷いてください。」布団を敷く。「ありがとうございます。もう何にもできないのですよ。」と言い、再三頭を下げる。

 3月28日、午前10時。「何処が痛いのですか?」「足ではないです。痛いです。わざとではありません。」と言うのみ。上下運動を繰り返し行う。体温37.8℃、pulse 96。熱感軽度有り。本人は「どうもないです」と答える。声かけると上下運動見られる。
 午前11時30分。P先生受診。咽頭が多少、炎症有り。本人は「何でもない」と言うため様子観察とする。
 午前11時40分。訪室すると部屋の中央に立ち、両腕をグルグル回している。「大西さんが私を叩くと言うんです。怖ろしい。大西さんは怖ろしい。」と流涙する。
 午前12時。「御飯は食べられません。」と自室より出てこようとせず、手を上下している。自室にて食事介助する。デザートのみ自力摂取される。
 午後2時。熱発。体温37.5℃。pulse 84/min. 体熱感軽度有り。頭痛無し。腰痛有り。「どうもないですけれど、大西さんが恐いんです」と言う。
「大西さんとは何かあったのですかね?」
「何もありません。でも、大西さんが恐いんです。」
「何もされてないんですけど、大西さんが恐いんです。」
「自分では食べられません。」
 デザートのみ自力摂取される。
 午後2時半。腰に湿布を貼ってくださいと来詰される。モーラスシップ塗布する。「有り難うございました」と普通の状態で帰室される。他動運動も見られず、温和である。
 午後7時。体温37.3℃、pulse 90. BP122/60mmhg
 夕食時、食べられず、自室より出てこようともされないが、説得して食堂へ連れてゆき、全量摂取される。
「食事、おいしかったです」と言う。また「頭も痛くない。どうもない。」と言われる。顔面紅潮気味。体熱感有り。
 午後8時、体温36.8℃、pulse 72, BP 122/60mmhg。

 3月29日午前6時、体温37.3℃、pulse 96, BP 132/80mmhg。他の患者に布団のシーツなどを外して貰っている。
 午前8時、「食べ られない、食べ られない」と言いながらも介助をしながら全量摂取。歯をぎしぎし言わせて両手の他動運動をしている。

 4月3日、この日の夕刻よりclonazepam 2mg/日(朝・夕)投与を行うこととする。3月下旬まではclonazepam 2mg/日(屯)が主任の判断により投与されていた。しかし4月1日より看護体制が移動となり、clonazepam の投与が行われていなかった。

 4月8日、一日clonazepam 2mg/日(朝・夕)投与は過量投与であったのか、終日、寝たきりとなっていたため、一日clonazepam 1mg/日(夕)投与と改める。

 4月11日、この日の夕刻よりdantrolene sodium 25mg/日を2日間行うことにする。しかし、ほとんど効果は認められず、2日間の投与にて中止。

 4月13日、amantadine 100mg/日(朝・夕)投与を開始する。一週間後、amantadine は200mg/日(朝・夕)投与に増量する予定であったが、効果が見られないため、一週間後、投与中止とする。

 4月14日、この日の夕食後より biperiden 2mg/日(朝・夕)投与開始。この日、午後3時頃、廊下の端から端を全力で走り抜けることを行う。看護士の弁に依るとこのことを数日前より行っているとのこと。この病態はakathisia であることを認識する。

 4月16日、手が後ろへ行くという発作が無くなったという。しかし、ベット上、臥床状態であることに変わりはない。精神状態はやや“うつ的傾向”。
 明日より、 biperiden 4mg/日(朝・夕)に増量して様子を見る。clonazepam は1mg/日(夕)投与のまま。しかし、biperiden 4mg/日により口渇が起こるのではないかと心配する。

 4月18日、朝9時半ながら布団に寝ている。機嫌が悪い。精神状態は悪くない。朝御飯を食べて再びベットの中に潜り込んだらしい。明日よりclonazepam は2mg/日(朝・夕)投与に戻す。

 5月2日、この日よりbiperiden 4mg/日(朝・夕)をpromethazine 20mg/日(朝・夕)に代える。promethazine の持つ抗ヒスタミン作用に期待するためである。この日より、長く続いた筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は減少。

 5月4日、promethazine は奏功している。昼間の眠気も訴えない。精神状態も良くなっている。昼間は起きて他患と雑談したり身の回りの整理をしたりしている。しかし未だ背部の筋肉の疼痛が存在する。promethazine 20mg/日(朝・夕)を 30mg/日(朝・夕)に増量。しかし昼間の眠気は出現せず。下肢(とくに下腿)のムズムズ感(restless leg syndrome?)も完全に消失している。長く続いた筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は再出現している。

 5月16日、下腿が腫脹する。足の甲から下腿部にかけ腫脹し、pitting edma(+)。furosemide 投与も考えたが、湿布を貼り、様子観察とする。痛み(--)。筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は続いている。

 5月17日、腫脹は下腿部のみになっている。今は廊下を走り回ることは出来ない。上体が前屈みになっている。パーキンソンニズムが明らかに起こっている。

 5月19日、下腿部の腫脹も消失。しかし筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は続いている。

 5月20日、腰が痛いため、真っ直ぐに眠れないため、いつも横を向いて寝ているが、このとき唾液が枕元に垂れると言う。promethazine 30mg/日(朝・夕)を 40mg/日(朝・夕)に増量。

 5月22日、経過は良好である。昼間の眠気はない、唾液が垂れるのもほとんど無くなっている。

 5月25日、経過は良好である。昼間の眠気はない。このままpromethazine 40mg/日・clonazepam 2mg/日(朝・夕)の臨時処方を続ける。

 7月27日、promethazine 30mg/日・clonazepam 2mg/日(朝・夕)の臨時処方を続けている。経過は良好である。昼間の眠気はない。上級医がベットを叩き続けるなどの行為を強迫神経症と判断し promethazine を減らし、fluvoxamine を投与し始めていたが、効果は判然とせず。しかし fluvoxamine の投与を続ける。筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は続いている。症例は元気であり、発熱のエピソードこそ減り病室にはほとんど居ず、ホールにて雑談をして毎日を送っている(自分の病室には人間関係上、居にくい為か?)。

 8月19日、promethazine 30mg/日・clonazepam 2mg/日(朝・夕)の臨時処方に加え、 fluvoxamine 100mg/日を加えているが、効果は判然とせず。筋肉の過緊張の依ると思われる微熱は続いている。症例は元気であり、発熱のエピソードこそ減り病室にはほとんど居ず、ホールにて雑談をして毎日を送っている。両手を後ろへ動かす動作が再発している。

【考察】
 父親が胃癌で死亡したことから胃癌など悪性腫瘍の大脳基底核への転移が最も考えられたが、頭部MRI上、70歳の標準的なMRI像(写真1)であり、多発性脳梗塞は未だほとんど無かった。悪性腫瘍の転移は見当たらなかった。CEAは正常値を示した。悪性腫瘍の精査はCEAを測定した時点で終えている。  
 今後、高齢化社会になるに従い、本症例のようなケースは増加してくると思われる。
 clonazepam が奏功したが、他のベンゾジアゼピン系薬物でも同じような結果が得られたと思われる。
 CPKの軽度の上昇と37℃台の発熱、そして筋硬直より悪性症候群も考えられた。しかし最高で38.3℃であり、精神状態は抗精神病薬を半量ほどに減らしたが悪化はなかった。
 結局、これは大脳基底核の何かによる変性であったらしい。アカシジアと思われる。小さな脳梗塞が大脳基底核のある部分に起こったと考えるのが最も妥当と思われる。
 アカシジアは別名、正座不能症、着座不能症、とも呼ばれる。抗コリン薬、βブロッカー、ベンゾジアゼピン系薬物が処方される。(しかし、β-blocker は投与してもほとんど効果は見られず。抗コリン薬とベンゾジアゼピン系薬物が著効するのみである。)
 錐体外路症状としてはアカシジアのほかにジスキネジア、ジストニアなどが知られている。外科的治療法も含め治療方法は様々存在する。
 アカシジアは投薬して数日から数週間後に突発的にまたは進行性に起こることが多い。自覚症状が中心で他覚所見に乏しいため精神障害と間違われやすい。ところが下肢のムズムズ感はpromethazine 20mg/日(朝・夕)の投与とともに消失した。
 症例は抗精神病薬を服用し始めて35年後に起こっている。これを遅発性アカシジアとして良いのか微小脳基底核部梗塞あるいは強迫性障害として良いのか判断に苦しむ。

【文献】
1) 風祭元:遅発性ジスキネジア----諸外国における研究.精神医学 13: 840-855, 1971
2) Kazamatsuri H, Chien CP, Cole JO:Treatment of tartive dyskinesia Ⅰ:Short-term efficacy of dopamine-depleting agents tetrabenajin.Arch Gen Psychiatry 27:95-99, 1972
3) Kazamatsuri H, Chien CP, Cole JO:Treatment of tartive dyskinesia Ⅱ:Short-term efficacy of dopamine blocking agents haloperidol and thiopropazate.Arch Gen Psychiatry 27:100-103, 1972
4) Kazamatsuri H, Chien CP, Cole JO:Treatment of tartive dyskinesia Ⅲ:Clinical efficacy of a dopamine completing agents methyldopa.Arch Gen Psychiatry 27:824-827, 1972
5) 越野好文、山口成良、倉田孝一、他:神経遮断薬惹起性遅発性ジスキネジアに対するChproheptadin の効果の二重盲検法に依る検討.精神医学21:1243-1250, 1978
6) 越野好文、間所重樹、伊藤達彦、他:北陸地方の精神病院入院患者における遅発性ジスキネジア.臨床精神医学 20:615-626,1991
7) 高橋三郎、大野裕、染矢俊幸:DMS-Ⅳ-TR精神疾患の診断・統計マニュアル.神経遮断薬誘発性ジスキネジア.医学書院, pp767-769, 2002
8)八木剛平:錐体外路形副作用.精神科治療薬体系・第5巻 向精神薬の副作用とその対策:49-94:1997
9) 八木剛平 etc. アカシジアの診断と治療、精神治療学 6:13-26、1991
 
------------------------------------------------------------------------------------------------
微小脳基底核部梗塞と思われる「片手でベットを叩く動作」および「強迫行為」に対しclonazepam とpromethazine が著効した一例

A case of look like tartive dyskinejia or microcerebral infarction in the basal ganglion region or obsessive-compulsive disorders, a movement of one hand beat the bet,clonazepam and promethazine are very effective.

http://homepage2.nifty.com/mmm23232/2975.html



【key words】microcerebral infarction, extrapramidal-tract disorder, clonazepam、promethazine、akathisia、