新元号発表は歴史的な出来事ですから、梅之助もきちんとした記事を書いておきましょうか。

 

4月1日、11:41に菅官房長官により5月からの新元号「令和」が発表されました。続く12:00過ぎからは安倍総理による記者会見が行われています。

 

 

共に共同通信社より

 

かつて「平成」を発表した当時の小渕恵三・官房長官が「平成おじさん」として、国民の印象に残り非常に親しまれた事から、「汗は自分が、手柄は他の人に」がモットーだった時の総理・竹下登でさえ「平成を決めたのは自分だが、歴史に残ったのは小渕だわな」と複雑な気持ちが残ったとされる新元号の発表。

それを踏まえたのかどうかは知りませんが、今回は菅官房長官の発表が11:30の民放ニュースの開始時、安倍総理の記者会見が12:00のNHKニュースの開始時に合わせるという2段階スケジュールでした。

菅官房長官の発表が予定時刻より11分遅れたのは、国民への発表前に「天皇陛下と皇太子殿下にお伝えする」という配慮があったと、朝日新聞は伝えています。

 

4月3日朝日新聞デジタル より

 

以下、首相官邸HPより、安倍総理の記者会見冒頭の談話。

 

本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。


これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。

「万葉集」は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。


悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。

文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。


5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位の御理解と御協力を賜りますよう、お願いいたします。
政府としても、ほぼ200年ぶりとなる歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。

元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。
私からは以上です。

 

新元号に関してはそれが何であっても、初めて聞けば多少の違和感は感じるもの。

今回の梅之助もそうでした。

しかし考えてみれば、今ではしっくりと感じる「平成」の時も最初はそんな感覚がありました。

客観的に「令和(れいわ)」という文字の響きを思うと、凛としていて涼やか。なかなか良いという気がしてきます。他の候補になったものを知るに及べば、その感がいっそう強まりました(個人的には「令」の文字より「礼」の方がいい気もするけれど、それでは出典根拠がなくなってしまうしなぁ)。

 

4月2日 FNNニュース より

 

ただね、本当に、本当に世の中には「バカ」がいるものです。

人間も生物だから「バカ」もやはり一定数存在してしまうのは仕方がないのだけれど、それが国会議員だという事が嘆かわしい。

 

 

「令和」廃止を主張していますね。

確かに皇位継承前に新元号が決められるプロセスには議論のあるところ。

しかし小西(もう梅之助はこいつに敬称の必要を以前から認めていない)の一連のツイートは、そこを動機としている訳ではありません。それに1カ月前の前倒し発表も、国民生活への影響を考えるうえで概ね国民は納得している事でしょう。

小西にあるのは安倍憎しの妄執だけ。誰だよ、こいつに投票したのは。

 

さて、ここからは「昭和」に関する小ネタ。

昭和の始まりと終わりを振り返ってみたいと思います。

昭和天皇が昭和64年1月7日に崩御され翌1月8日から平成に改元された為、昭和64年は1週間しかなかった事は、40代以上の方ならば記憶されている人も多いと思います。

 

時事通信社 より

 

実は昭和元年も、昭和64年と同様に奇しくも1週間だけだったんですよね。

 

 

上は当時の新聞記事。日付は大正15年12月25日になっていますね。

この日の01:25に大正天皇が崩御され、03:15に新天皇が即位された事を伝えています。

 

 

その日のうちに「昭和」に改元された事を伝える新聞号外。

日付も既に昭和元年12月25日になっています。

つまり昭和元年は12月25日に始まって、丁度7日間で終わるのです。昭和は暦上では64年まであるものの、期間という点では62年と14日間という計算になりますね。

平成改元の時と異なるのは、この12月25日が大正と昭和で重なっている点。

このような差異はありますが、昭和の最初の年と最後の年が共に1週間づつというのも、偶然とはいえ何かの巡り合わせのようなものを梅之助は感じてしまいます。

 

5月から始まる令和元年。

どうか良い時代になりますように。