今年になって『「日本国紀」の副読本 - 学校が教えない日本史 - 』という、著者・百田尚樹氏と編集者・有本香氏の対談本が出ているという事で、早速読んでみました。

この本も結構売れているようで、当初はどこの書店に行っても売り切れ状態だった為、注文入荷を待ってからの購入です。

 

 

この本には百田氏が「日本国紀」を執筆するに至った背景と動機=現代日本における歴史学及び歴史教育に対する危機感が、二人の対談を通して述べられています。

 

敗戦直後、GHQと公職追放された当時の知識人にとって代わった極左マルクス主義者らによって、それまでの日本の歴史は全否定されます。

ただし、あの破滅的な大敗北で大きな被害を受けた当時の一般国民の感覚にはそう大きな変化はもたらしませんでした。占領軍が去って日本の主権が回復した直後に、当時収容されていた戦犯への赦免決議が国会の全会一致で実現した事でもよく分かります。決議した議員らは口々に東京裁判の欺瞞性を指摘している記録もあります。

戦前の経緯に対する理解や、何よりも良識・常識があったからでした。

 

しかし時代が経過し、GHQやマルクス主義の影響を受けた歴史教育で育った人々が社会の多数を占めだした1980年代以降、日本人の歴史観は大きく歪みだします。

歴史教科書も外国(特亜)から政治利用の為に多くの干渉を受け、任那日本府という記述が消えたり、朝鮮・中国の抗日史観の視点に多くの文字数が割り当てられたりするようになり、現在に至っています。

特に驚きをもって本書第6章でも紹介されていたのは、「学び舎」という出版社の「ともに学ぶ人間の歴史」という中学校用歴史教科書。梅之助も紹介されている部分を読んだだけですが、従来から左寄りだった「山川」や「東京書籍」の教科書がマトモに思えるほどの偏向ぶりなのです。

 

「学び舎」の教科書の酷さに関しては、yukimariさんが記事を書かれていますので、リブログさせて頂きます。


 

この教科書が将来、東大生(やがては日本国を担う官僚の卵)を多数輩出する名門校で結構採択されているというのだから、唖然!

日本を「日本」「沖縄」「北海道」と分断して現代に至るまで年表表記したり、朝鮮・中国が主張する史実を誇張・印象操作した記述にあふれたりと、yukimari さんの記事の動画視聴と「~副読本」での引用個所を読んだだけでも、生理的に気持ち悪くなってしまいましたよ。

これではただのプロパガンダ本です。明らかにこの教科書の背景には、特亜勢力が蠢いていますね。

 

※東洋史専門の歴史学者・宮脇淳子氏による「学び舎」教科書の意図的な史実印象操作のカラクリを批判論破するシリーズ動画は→こちら

 

まあ、「ともに学ぶ人間の歴史」という教科書は、中学・高校の先生らが書いたという事で、そこには歴史学者といった専門家はいないようです。いくら左翼脳の歴史学者であっても、こんな教科書は学者としての良心から書けない、という事でしょうか。

文科省もよくこんな教科書を検定パスさせるなあ、となるのですが(事実、「学び舎」の教科書は一度検定に落ちている)、因みにこの教科書が検定を通った時、あの前川喜平はまだ文科省の高官です。

さもありなん(前川が教科書記述でどういうスタンスの人間だったかは→「福田の戯言に付き合っている暇はない」(2017/08/06)を参照してください)!

 

こういった状況の中での日本国紀現象は、まさに「日本人の歴史」を取り戻すための「私たちの反乱」だったのです。

ただ、反乱を起こすにも蜂起側にはモチベーションと「拠って立つ場所」が必要。

それこそが有本氏が考えたという「私たちは何者なのか」という問いかけであり、百田氏による「日本国紀」である訳なのです。

二人のそんな気概がこの本からはよく伝わってきました。

 

本書の中から有本氏の印象的な文章を一つ。

 

よく軍事や経済のことを「ハードパワー」と言います。これに対して「ソフトパワー」と言われるものがありますが、その最大、最強のコンテンツは実は歴史そのものなのです。ソフトパワーとは決して「クールジャパン」とかいう看板を掲げて、商品を売ることではないのです。

その「民族の歴史」「国民の歴史」という最大のソフトパワーを日本人はこれまで「ばんざ〜い」と諸手を挙げて手放そうとしていたのです。中学や高校の歴史教科書を見る限り、その残念な状況は今も続いています。

 

対談本だから読みやすいし、この本を読んだ後で再度「日本国紀」を読むと、百田氏や有本氏の想いがいっそうハッキリとした輪郭となって感じられると思いますよ。

 

さて、最後に。

丁度、ミレニアムが移り変わった頃、梅之助も日本人としての「拠って立つ場所」を探していた事がありました。そして当時、ネット上で印象深い文章を目にした事があります。

その文章は一度記事にした事もあるのですが、もう一度ここに掲載させて頂こうと思います。

 

日本という国はそれ自体が長い長い物語である。本編で紹介したものはそのほんの一齣にしかすぎない。歴史の中で培われた文化、価値観、伝統こそが日本の日本たる所以である。
民主主義と神の名の下にアメリカインディアンの土地と命を奪って作られた人造国家アメリカや、支配者が変わるたびに既存の文化と伝統を全て破壊してきた中国とは全く違う。万世一系の天皇陛下が2600年にわたって治めておられるこの国は、世界最古の国家である。


2600年の歴史が日本という土地の中で育んだもの。文化的背景に裏打ちされた価値観。
それは『イデオロギー』などではない。『常識』である。
日本に生まれたものは知らず知らずに、だが確実にその制約を受ける。
自分が表現したかったものは戦争である。現代日本の原点は、間違いなく戦争にある。歴史はあなたに問う、日本とは何なのか。未来はあなたに問う、日本人とは何者なのか。あなたは何者なのか。
自分が賛美し、伝えたかったものは、その答えはあなたの『常識』が決めてくれる。

 

 

 

 

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