今回記事にする艦艇は、戦前よりも戦後の活躍の方が日本国民には馴染みが深いでしょう。

日本の初代南極観測船として極地へと赴いた「宗谷」です。
 
東京・「船の科学館」にて 2009年11月ブログ筆者撮影
 
本船は元来、日本の造船会社が1936(昭和11)年にソ連より商船として発注を受け、進水の際にはソ連名まで与えられていました。しかし第二次世界大戦直前の情勢からソ連への引き渡しは行われず、商船「地領丸」として1938年6月に竣工。
竣工後は民間会社の貨物船としてしばらく就航していましたが、最新鋭ソナーを備えていた事や、その砕氷・耐氷性能から当初より注目していた海軍が買い上げを決定。1940年2月に「宗谷」として海軍特務艦に編入され、同年6月に改装工事が完了しています。
特務艦とは、直接戦闘には加わらず、各種作戦の後方支援全般を行う海軍艦艇の総称で、工作艦・運送艦・測量艦・砕氷艦などが挙げられます。
しかしながら直接戦闘には加わらないとはいえ対英米開戦後、南方に占領地域が拡大すると必然的に多くの特務艦も現地に出向く訳で、「宗谷」も例外に漏れず各地で測量や輸送業務に従事し、時には戦闘行為にも加わっています。敵艦の魚雷が命中したものの、不発弾だった為に難を逃れた事もありました。また1944年のトラック島空襲の際に座礁し、総員退艦命令が出されるも翌日に潮が満ちて自然離礁し、乗員が仰天するという幸運にも恵まれています。
 
1956年11月8日、東京・晴海埠頭を出港する「宗谷」 朝日新聞より
 
多くの特務艦が戦没する中、「宗谷」は終戦を室蘭で迎えました。
戦後はすぐに復員業務を担い、19000名もの日本人を本土に送り届けた後に海上保安庁の所属となり、灯台補給船を経て日本の初代南極観測船へと生まれ変わります。1956年から1962年にかけての6次に渡る南極航海で、日本の南極「昭和基地」開設に貢献し、悪天候と戦いながら日本に貴重なデータと多くの「経験」を残しました。
因みに映画「南極物語」で知られる樺太犬・タロとジロの物語は、第2次から3次にかけての出来事です。
 
南極への経路 Wikipediaより
 
南極観測船としての使命を終えた「宗谷」はその後、海上保安庁最大の巡視船として第3管区海上保安本部(主に関東・東海地方の太平洋が管轄範囲)を経て第1管区海上保安本部(主にオホーツク海を中心とした北海道海上が管轄範囲)に所属。この第1管区時代は15年間に及ぶのですが、この間、海難救助での出動は350件以上、救助した人命は1000名以上と、いつしか「北洋の守り神」「奇跡の船」「不可能を可能にする船」と呼ばれるようになりました。
1978年退役。
翌年より東京・お台場の「船の科学館」にて一般展示が開始されています。
 
と、まあ、簡単な「宗谷」の歴史を書いてきましたが、正直言って梅之助の文章なんてどうでもよろしい。
15年くらい前ですけど、ネット上でフラッシュ作成が流行った事がありまして、当時、下の動画を見てえらく感動した記憶があります。
まさに「奇跡の船・宗谷」の物語でした。
2003年頃に作成されたフラッシュ動画ですが、Youtube動画ではなく、ニコニコ動画になります。良かったらご覧くださいませ。
 

 

ニコニコ動画がご覧になれない方はこちらを→「みらいにつたえるもの」(ニコ動もこちらのサイトもスマホではうまく表示・再生されない為、PC推奨)。

 
最後に指摘しておくと、この「宗谷」は「船」として現存する唯一の元帝国海軍の艦船といえるのだそうです(横須賀の「三笠」は岸壁に固定され「工作物」扱いになっている)。
 
 

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