昨日の5月20日(土)、「たきかわ菜の花まつり」からの帰り道。

車は国道12号線を旭川方面へ、時刻は12:00台。

こんな昼間にこの辺りを走るのは滅多にありません。大抵は札幌方面に出かけた帰りの夜だからなぁ。

そこで神居古潭(カムイ・コタン:「神の住む場所」の意)に寄ってみる事にしました。

 

 

アイヌにとっては特別な地ですが、生活様式が窺える史跡・展示がある訳でもなく、秋の紅葉の方が人気の土地です。その分、今時期の人影はまばら。駐車場に車が数台停まっていましたが、持ち主らしき人たちの姿を見かける事はありませんでした。きっと山菜取りで山の中だな。

駐車場には南山商店という昔からのお店が現在も営業していて、秋にはここで多くの果物が販売されています。

 

 

 

石狩川に架かる白い神居大橋(1938年建造)を渡ります。一度に百人以上渡ってはならない橋です。

左は橋上からの深川方面、右は旭川方面の川の様子。

上川盆地を悠々と流れて来た石狩川の川幅がここに来て狭くなります。その分、この付近の川の深さは約70mにもなるのだとか。流れも急になり、明治期に道路が建設されるまでアイヌや和人を苦しめた水上交通の難所でした。

 

 

橋を渡ると九条武子の歌碑があります。

梅之助はこの人を知らなかったのですが、大正期の歌人・教育家・社会活動家だそうで、歌碑には「たきつ波ましろう白う岩にちる神居古潭のくもれる真昼」とあるそうです。華族に嫁ぎながらも世のために尽くした偉い人だったようですね。

 

 

旧神居古潭駅舎です。1901(明治34)年に簡易停車場として開業。

しかしこの付近は険しいルートであり、1932(昭和7)年には付近で岩盤が崩落して走行中の貨物蒸気機関車を直撃。2名の機関士が殉職、石狩川に転落した機関車は川の底に沈んだままと聞いています。70mの深さですからねぇ。

そういった事情ゆえに、1969年の電化・複線化の際にルート変更されて神居古潭駅は廃駅に。現在残る旧駅舎は廃駅当時の姿を復元したものだそうで、明治期の西洋建築意匠導入時の特徴をよく残しているそうです。

 

 

 

いや~、旧駅舎の方まで来たのは約20年ぶり位だなぁ。

今では鉄路の代わりにサイクリングロードが整備され、旧駅舎は休憩所としても利用されています。

 

さて、旧駅舎から深川方面に視線を向けると、蒸気機関車が3つも展示してありますよ。

 

 

 

 

上から「29638」1913(大正2)年、「C57 201」1947(昭和22)年、「D51 6」1936(昭和11)年、という形式と製造年(※ 「29638」に関しては1917年製造の可能性あり)。

梅之助が子供の頃からここにあって、小学校の社会科見学の際に機関車を背に写真を撮った記憶があります。

 

 

深川方面へと続くサイクリングロード。

かつて使われていたトンネルも補修されて自転車用に使用されています。ネットではこのトンネルが心霊スポットだという話が数多く掲載されており、事実、梅之助も10代の頃に夜に探索でやって来た事があります。

しかし実際はどうなんでしょうねぇ。もうそういう事に興味をそそられる齢でもありません。生きてきた年月よりも残された時間の方が確実に短いのだから。そういえば、機関車の写真を撮っている時にトンネルの方から歩いて来た若い女性と一人すれ違いました。もっとも、彼女はハイキング姿でしたが。

 

この付近には他に縄文時代の竪穴住居跡やストーンサークルなどの遺跡が点在していますが、どこをどう行ったらいいのか分かりません。

それよりも、太古の昔にどうしてしてこんな所に人が・・・という想いの方を強く抱きながら、約3~40分位過ごして神居古潭を後にしました。