従来の司法(裁判所)と立法府(国会)の暗黙の了解は、衆院選小選挙区最大格差が2倍以下、というものでした。ところが今年春ごろからの一連の判決では1.41倍でも選挙無効、1.36倍でも違憲状態という判例も出ています。
正直に言って、この判決は如何なものか、と思います。確かに2倍を超す状態はただちに改善されなければなりませんが、小選挙区制度である以上、1.36倍程度ならば法の下の平等に反している、とまでは言えないのではないでしょうか。これでは裁判所が事実上の選挙制度の変更を迫っているに等しい。
 

    2009年9月 スカイバスTokyo からみた国会議事堂。

ここで今一度振り返ってみたいのは、「一票の価値」の平等性をどこまで追求すべきか?です。
結論から言うと、小選挙区制度において梅之助は完全平等主義者ではありません。ある程度の格差はやむを得ないという考えです。もちろん完全平等が可能ならばそれに越した事はありません。しかしそれがかえって弊害を生む事もあるのです。

①完全平等を目指すのならばオール比例代表制が考えられますが、これでは政権交代は起きづらくなるでしょうし、その弊害は本日付の読売新聞に掲載せれているのでそちらを見ると良いでしょう。
②現行制度のまま小選挙区の区割りを抜本的に変更して、限りなく格差をなくす、という方向では議員構成が大都市偏重になり地方との格差が増長します。どうしても大都市目線の政策が優先され、国家運営のバランスが崩れてしまいます。地方は人口が少なくても、そこが大都市圏への食糧供給地帯だったりするので地方の衰退は大都市自体の首を絞めることにもなるのです。

梅之助は一票の価値の平等を金科玉条視するあまり、人口比のみを基準にするのは間違いだと思っています。もちろん一番重要視するべきは人口比ですが、それ以外の要素(例えば面積)も多少は加わってもいいと思っています。
何故ならば、国及び国会議員の使命は「国民の生命と財産を守る」であり、国土・領土は国民の貴重な財産だからです。仮に、過疎で廃れたある地方を密かに外国資本が着々と買収する事態が起きた際、議員の偏重からその出来事の問題点に国家として気付くのが遅れてしまえば、安全保障上大変な問題にもなります。北海道でもちょっと前に中国による水資源買収が問題になりましたね。
安全保障の観点からも使い古された言葉ですが「国土の均衡ある発展」は重要なのです。「損得勘定」の問題ではないのです。ただ「各県一人別枠方式」は廃止すべきでしょうね。

大都市圏の有権者の不平等感は、これらの事を理解せず自分たちの富が地方出身の国会議員によって持っていかれているという「損得勘定」の部分が発露となっている気がします。
ま~、こういう「感情」の部分は理屈を持ってしても納得できない事が多いですからね。実際、地方の箱モノの費用対効果をみればその気持ちは理解できなくもない。

これらの問題を将来的に根本解決する一つとして道州制が考えられます。財源の大幅な地方移譲です。そうすれば現在国会議員がやっている「選挙区への利益誘導」という、一番大きな仕事(?)はかなりの部分消滅します。財源及び予算の使い道はそれぞれの道州議員にやってもらいましょう。
国会議員は本来やるべき本分に立ち返る事が出来るでしょうし、そうなると二院もいらなくなり国会議員数も減らせます。国政選挙も選挙区のための議員から、国全体を考える議員の選択選挙になりますから、候補者・有権者双方意識の質が変わってきます。
一票の格差から考えられる一般的な問題点は大部分その意味を失い、ほとんど話題にも上がらなくなるでしょう。

現在の都道府県から一足飛びに道州制に移行するのは難しいかもしれませんし、果たして道州制が日本の国情にマッチした正しい選択なのかは議論の余地があるとは思いますが、少なくとも今後小さい県同士で合併する動きがあってもいいんじゃないですかね。国もそれを後押ししましょう!
他県民の方から見れば、北海道は道州制でも範囲が変わるわけではないので抵抗が少ないと思われがちですが、こんな北海道でも短い期間でしたが昔は3つの県に分かれていたんですよ。


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