「ノンデュアリティ」系の本を読みました。
そもそも「ノンデュアリティ」って何よ?非二元って「2」じゃないならいくつなのよ?
と言葉の意味も知らずに読み始めましたが、スピリチュアル系の本でした。
■「ノンデュアリティ」とは?
今さらですが、ノンデュアリティって何なのかっていったら、二元じゃないっていうことですよね。じゃあ、二元って何なの? っていったら、主体と客体、つまり「見る者」と「見られる対象」があって、二つ以上のもので成り立っている世界。すべてが比較と相対で成り立っていて。常に「違い」が重要な世界。ノンデュアリティは、そうではない世界……。「ああ、めんどうくさーい。そんなむずかしいこと、どうだっていいじゃない!」っていうふうに『バタ足ノンデュアリティ』では考えます。
引用元:金森 将『バタ足ノンデュアリティ: ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!』
私たちが一般的に認識している世界のことを「二元(=思考・比較の世界)」といい、そうでない「非二元」の世界が本当なのだよ、という世界観のことだと私は理解しました。
「統合」とか「ワンネス」と同じことかと思います(たぶん)。
■人間は何一つ選択をしていない
特に面白いと感じたのは、人間は「何一つ選択をしていない」ということ。
えー!色々迷いに迷って人生選択してきたけどどゆこと?
あなたは、過去に何一つ選択をしていないし、行動もしていません。すべてが「全体」の現れとして、ただそのように起きています。
あなたはそれしか選べないようになっていたんです。どうやったってそれ以外を選ぶことなんてできなかったんです。
生まれてからずっとそうしてきました。何一つやっていないんです。
引用元:金森 将『バタ足ノンデュアリティ: ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!』
人生半世紀を過ぎた身としては、この言葉に「安堵」を感じました。
数々の罪悪感や後悔で自分を責めていた気持ちがふっと軽くなりました。
過去はどうしたって変えられないのですから「そういう選択しかできなかったんだ」と考えた方が精神衛生上とても良いと気づきました。
■何一つ選択をしていないのは他者も同じ
Q:
身近にとても嫌な人がいます。
(中略)
A:
(中略)
もしあなたがその人になったとしても、一〇〇パーセント同じ行動になるんですよ。同じ親のもとに生まれ、寸分違わない人生を送ってきたら、同じ判断、同じ行動しか絶対にできません。逆らいようがないんです。
「ええーっ!自分は絶対にあんなことはしません!」と思われるかもしれません。でも、残念ながら、そうはなりません。
その人とまったく同じ考えしか現れないんです。そしてまったく同じ行動をするんです。
引用元:金森 将『バタ足ノンデュアリティ2: -ノンデュアリティって、「心」のお話じゃないんですよ!』
人間が「何一つ選択をしていない」のであればそれは自分だけでなく他者も同じこと。
「もしあなたがその人になったとしても、一〇〇パーセント同じ行動になる」
こうも言い切られるととても清々しいです。単純明快。
私は何か嫌なことがあると「どうしてどうして?」と考えてしまいがちなのですが、選択肢がないのなら「どうして?」も何もないということです。
別の記事で「許す」がテーマの宇宙人バシャールの言葉を紹介しましたが、
このノンデュアリティの考え方を併用するともう許せない人なんていなくなると思いました。ほっ。
■『バタ足ノンデュアリティ』読んでよかった
スピリチュアルは頭ではなく感覚で理解するもの。
ノンデュアリティも思考ではなく「五感」を使うことを強調しています。
とはいえ、感覚が全然分からないから色々な情報を収集するわけですが...
スピリチュアル系の本を読むといつも、分かったような分からないような、煙に巻かれたような気分になりますが、『バタ足ノンデュアリティ』と合わせて『バタ足ノンデュアリティ2』も一緒に読むことで理解が深まりました。
『2』はノンデュアリティに関するよくある質問とその回答のQ&A形式で書かれているので、疑問だらけの頭の中を整理できます。Kindle Unlimitedで無料で読めますよ。
次は『3』を読むぞ。
■参考