【マヤ暦|マヤ暦占星術®︎ 占術家MASAYUKIのズバリ!世相を占う特集】
親愛なるあなたへ
先日、志村けんさんが、70歳の生涯を生きて宇宙へと旅立たれました。
心からのご冥福をお祈りいたします(以下、敬称略)
志村けんと言えば、日本のお笑い界の大御所で、日本で知らない人は、誰1人いないと言えるほど、老若男女から愛された人物です
ザ・ドリフターズに加入し「8時だヨ!全員集合」で、東村山音頭が大ヒットしてから、ヒゲダンスやバカ殿様やひとみ婆さん、変なおじさん、アイーンなど、様々な面白いネタやキャラクターを生み出し、
約50年間もの間、日本のお笑い界を牽引し、第一線で活躍してきた日本の宝ともいうべき唯一無二の存在です。
近年では、「天才!志村どうぶつ園」で、動物に対する愛情深い人柄が、人々のハートを掴み、笑いを通して、日本のみならず、世界中の人たちに愛を届けました。
そんな志村けんが、新型コロナウィルスの影響で、急逝され、日本中が、志村ロスで、悲しみに暮れています。
私自身も大好きな人物でしたので、悲しい気持ちでいっぱいです
今回の追悼コラムは、ツォルキンのはじまりKIN1の日に宇宙へと旅立たれた、志村けんさんに対する愛と感謝の意を込めてお届けして参ります。宜しければお読みください。
前編のテーマは、
KINの如く生涯を生きた、喜劇王、志村けんの運命を占う
・日本中の国民から愛された志村けんのKINを占う
・人生のサイクルを占って驚き!いかりや長介とドリフターズとの出会いは、運命の出会いだった?!
です。それでは、お楽しみください
日本中の国民から愛された志村けんのKINを占う
志村けん、本名、志村康徳(やすのり)は、東京都東村山出身。
小学校教諭である厳格な父とひょうきんな母を持ち、三男の末っ子として生まれます。
康徳という名前は、父が、徳川家康のような立派な人間になって欲しいという願いから名付けられたそうです。
父は、文武両道の人格者で、自分にも他人にも厳しく、真面目一辺倒の父を見て育ちました。
家庭では、一度も笑った顔を見せたことがないような厳格な父親が、当時、まだ珍しかったテレビの喜劇を見て、大笑いしている姿を見て、
「笑いというのは、こんなにも人を変えるのかと感動」
その出来事をキッカケに、お笑いの世界に憧れを抱くようになったそうです。
志村けんの中に、お笑いという、愛の種が芽生えた瞬間ですね
芸名の「志村けん」という名前は、事故をキッカケに他界した父の名前「志村憲司(しむらけんじ)」からとったそうです。
志村けんのKINは、「黒KIN153 音10 赤い空歩く人/黄色い種」です。
黒KINの強運の持ち主で、波乱万丈の人生を生きる宿命の人です
KINから見るその本質は、とても真面目で、頭の良さを備えた人物であることが分かります。
顔を白塗りにしたり、ヒゲをはやしたり、時には下ネタも交じえ、滑稽なコントで、私たちを楽しませてくれますが、根は真面目で寡黙な性格。その性質は、教師をしていた父親譲りなのでしょう。
誰に対しても優しく、動植物を愛し、生きとし生けるもの全てを愛する愛情の深さは、太陽の紋章にもつ赤い空歩く人の"博愛"のエネルギーとガイドキンにもつ赤い竜の"慈愛"のエネルギーです。
お笑いに対するあくなき探究心は、ウェイブペルにもつ黄色い種の資質であり、数々のコントネタやキャラクターを生み出す能力は、銀河の音10の能力です
多くの著名人が、志村けんを慕う理由は、彼の人柄や人間性、いわゆる大きな愛のエネルギーに魅了されていたのです
人生のサイクルを占って驚き!いかりや長介とドリフターズとの出会いは、運命の出会いだった?!
志村けんの運命を大きく変えたのは、間違いなくドリフターズとの出会いでしょう
中でもいかりや長介との出会いが彼の運命を激変させることになります
笑いの世界に憧れを抱いていた志村は、当時、音楽とお笑いを融合したコントでお茶の間を沸かしていたドリフターズを目にします。
まだ高校卒業前であった若き志村は、リーダーであるいかりや長介「KIN232 音11 黄色い人/白い風」の自宅に押しかけ、弟子入りを志願します。
ですが、一度は、門前払いを受けたものの、彼の熱意に押され採用されることになります。
"人は、誰と出会うかで運命を変える"という言葉のとおり、いかりや長介との出会いが、志村の人生を大成功へと誘う、運命の出会いであることが分かります
志村けんの人生のバイオリズムを占ってみるとそのことがよく分かります人生のサイクルをご覧ください。
「志村けんの人生のサイクル年表」
いかりや長介と出会ったのは、1968年の2月ですので、白の時代の1年目です。
以前も解説したとおり、音1のタイミングというのは、物事をはじめる絶好のタイミングとなります。
お笑いを目指すことを決意し、いかりや長介との出会ったタイミングは、最高に良い刻印だったのです
付き人として下積み時代を過ごすことになるのですが、苦労の連続
白の時代は、魂が磨かれる修行の期間ですから、そう簡単にはうまくいきません
そんなある日、晴天の霹靂とも言うべき人生のビッグチャンスが訪れます
ドリフターズの人気メンバーの1人であった、荒井注が脱退することとなり、その穴を埋めるために志村けんが抜擢されることになったのです
1973年の12月に「メンバー見習い」の扱いで、ドリフターズに加入することになります。芸名も今の「志村けん」としてデビューすることになります
このKINは、数年に一度しか訪れない、大開運の年回りである「絶対拡張の刻印」の1年です
KIN228は、名誉名声を表すKINなので、これほどまでに志村けんが、大出世した大きな要因の一つは、KIN228の年回りにドリフターズの仲間入りしたことが、大きな要因であることが分かったのです
しかしここで、宇宙法則の等価交換法則が働きます。
笑いに目覚めた原点ともいうべき、最愛の父が、この世を去ることになります
大きなものを得るためには、大切なものを失うという等価交換法則が働くのが、宇宙の仕組みですが、
ガイドに赤い竜をもつ志村けんは、命に向き合わされる体験を通して、愛に目覚め、運命の扉を開く宿命の持ち主なのです。
この悲しい出来事があってから、志村は、あれよあれよという間に、お茶の間の人気者となり、大ブレイクを果たします
それからの活躍ぶりは、あなたもご承知のとおりです。
今日のポイントをもう一度おさらすると、志村けんが、多くの人に笑いを通して幸せをお伝えできた理由は、
幼少期の父親との出来事を通して、笑いが人をどれほど幸せにするものであるか早い段階で気づけたこと
笑いに対するあくなき探究心を備えていたこと
お笑い界を目指し、行動を起こしたタイミングが良かったこと
師匠と仰ぐいかりや長介やザ・ドリフターズとの運命的な出会いがあったこと
KIN228の絶対拡張の年回りに、ザ・ドリフターズの「メンバー見習い」として世の中に出て、志村けんとしてデビューを果たせたこと
笑いを追求した根底には、「愛」があり、笑いを通して、人を幸せしたいという純粋な動機や想いがあったから
です。成功者は、どんな人も、KINの如く輝き、宿命のとおりに生きるものであるとお伝えしているとおり、
志村けんさんも、笑いを通して愛に目覚め、愛に生きた人物だったのです
今日は、ここまでにしまして、次回の特集では、
ザ・ドリフターズメンバーとの関係性に迫ってみようと思います。
次回の更新もお楽しみに
愛と感謝を込めて
MASAYUKI