「マティルデ・ディ・シャブラン」を見る | アカエイのエピキュリアン日記

「マティルデ・ディ・シャブラン」を見る

「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル2012」で上演された「マティルデ・ディ・シャブラン(Matilde di Shabran)」を見ました。2012年8月にペーザロのアドリアティック・アレーナで上演された舞台です。

 

 

ロッシーニの「マティルデ・ディ・シャブラン(Matilde di Shabran)」は1821年に完成した全2幕のオペラ。オペラ・セミ・セリアに分類される作品です。このオペラはまずローマで初演され、その後改訂の筆を加えて、同年、ナポリで上演されます。この上演は、ナポリ版が使用されています。

ロッシーニは、1810年にオペラ作曲家としてデビュー以後、1812年に5作、1813年に3作、1814年に2作、1815年に2作、1816年に3作、1817年に4作、1818年に3作、1819年に4作と、精力的にオペラを発表してきましたが、このオペラを作曲する前年の1820年からは作曲のペースが明らかに落ちています。1820年には「マホメット2世(Maometto II)」、1821年には「マティルデ・ディ・シャブラン(Matilde di Shabran)」、1822年には「ゼルミーラ(Zelmira)」、1823年には「セミラーミデ(Semiramide)」、1824年には「イタリアの王ウーゴ(Ugo,re d'Italia)」、1825年には「ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿(Il viaggio a Reims, ossia L'albergo del Giglio d'Oro)」、1826年には「コリントの包囲(Le siège de Corinthe)」、1827年には「モーゼとファラオ、または紅海への旅(Moïse et Pharaon, ou Le passage de la mer rouge)」、1828年には「オリー伯爵(Le comte Ory)」、そして1829年の「ウィリアム・テル(Guillaume Tell)」を最後にオペラ作曲家としてのキャリアに終止符を打ちます。1820年以降は年1作のペースです。内容も、ブッファ調のコミカルなものから、次第にセリア調の荘重なものに変わっていきます。「マホメット2世」は、ロッシーニ的な軽妙さとは一線を画するものですし、この「マチルデ・ディ・シャブラン」もコミカル一辺倒という感じではありません。オペラ・セミ・セリアと呼ばれる所以がここにあります。

 

ストーリーは、武辺一辺倒の城主・コッラディーノを中心とした物語です。彼は、戦いのことしか頭にない武骨者。荒々しく残虐な性格です。女嫌い、というよりは、女性のことは眼中にない、という感じです。彼に想いを寄せるアルコの伯爵令嬢のことなど歯牙にもかけていません。彼の冷酷を知った農民たちは、恐れて彼の城に近付きません。しかし、そのことを知らない詩人のイシドーロはうかつにも城に近付き、捕えられて牢に閉じ込められてしまいます。そんな彼の城に、一人の女性がやってきます。マティルデです。彼女は、父の遺言により後見者となったコッラディーノに会いに来たのです。彼女は、ひそかにコッラディーノを篭絡し、自らの虜にしようとたくらんでいます。恋の手練手管でコッラディーノを誘惑するマティルデ。その策に落ち、恋に胸を焦がすコッラディーノ。しかし、色恋の道に疎い彼は、それが何かを知りません。医師のアリプランドに恋の病だと診断された彼は、それがイシドーロの魔法のためと考え、すぐに恋の病を治せとイシドーロに迫ります。その場はマティルデのとりなしで収まります。さて、コッラディーノの城には、戦で敗れたエドアルドがとらわれています。打倒コッラディーノに燃えるエドアルドの父のライモンド・ロペスは、再びコッラディーノの城へと攻め寄せてきます。迎え撃つため出撃するコッラディーノ。戦いはコッラディーノの勝利となりますが、その場で、彼は捕えているはずのエドアルドに出会います。マティルデに逃がしてもらったと語るエドアルド。マティルデの裏切りに激怒するコッラディーノ。帰城すると、彼はマティルデの死刑を宣告し、その実行をイシドーロに命じます。マティルデは無実を主張しますが、裏切りを革新するコッラディーノは聞く耳を持ちません。イシドーロは彼女を連れて城を出ていきます。戻ってきたイシドーロは、コッラディーノに命令を実行し、彼女を川に落としたと報告します。しかし、彼女は無実でした。マティルデに嫉妬したアルコ伯爵令嬢が策を弄してエドアルドを解放し、その罪をマティルデに着せたのです。事実を知って後悔するコッラディーノ。自責の念に駆られたコッラディーノは、マティルデの後を追って死のうとします。そこへエドアルドが現れ、マティルデの生存を伝えます。マティルデもそこに現れます。おのれの過ちを謝すコッラディーノ。マティルデは彼を許し、ライモンド・ロペスとの和解を提案します。マティルデのとりなしでコッラディーノとライモンド・ロペスの和解はなり、すべてが丸く収まって大団円、という話です。

 

ストーリーは平凡で、ご都合主義的な展開です。残忍無比で色恋に見向きもしないコッラディーノが、マティルデにあって突然に恋の情熱に身を焦がすというのは、あまりにも唐突です。しかも、恋をする過程がほとんど描かれていないので、彼の豹変に見る側の感情が追随しません。また、マティルデの裏切りに激怒し、彼女を糾弾する場に、彼女の好意を謝するエドアルドの書信がもたらされるというのも、あまりにもタイミングが良すぎる。つまり、嘘くさい。また、登場人物の性格付けも、いささか粗雑に感じます。コッラディーノは、紋切型の冷血漢として登場します。マティルデは、善良な女性というには、いささか打算にはしっています。アルコ伯爵令嬢の嫉妬は、上滑りした感じです。つまり、全体的に嘘くさい感じです。ストーリー展開も、登場人物の性格付けも、掘り下げがなく、粗雑な感じです。にもかかわらず、このオペラは3時間を超す上演時間を要します。このオペラを、最後まで聴きとおすことができるのは、ひとえにロッシーニの音楽の故です。とはいえ、このオペラでは、歌手の個人技を披露するアリアが極端に少なく、重唱に重きが置かれています。もちろん、重唱であっても、歌手個人の技術を存分に使うように書かれているので、決して、歌手にとって楽なオペラではないのですが、アリアで歌手の妙味を堪能したいという聴衆にとっては、いささか物足りないかもしれません。しかし、逆に言うと、重唱が多い分、音楽に厚みがあり、聴きごたえがあるということができます。


ストーリーに難があるとはいえ、音楽の点では実に魅力に富んだ作品だと思います。

 

指揮はミケーレ・マリオッティ(Michele Mariotti)、管弦楽はボローニャ歌劇場管弦楽団、合唱はボローニャ歌劇場合唱団、合唱指揮はロレンツォ・フラティーニ(Lorenzo Fratini)、演出はマリオ・マルトーネ(Mario Martone)、装置はセルジオ・トラモンティ(Sergio Tramonti)、衣裳はウルスラ・パツァーク(Ursula Patzak)、照明はパスクヮーレ・マーリ(Pasquale Mari)です。

 

配役は以下のとおり。
フアン・ディエゴ・フローレス(Juan Diego Flórez)…コッラディーノ(女嫌いの城主)
オルガ・ペレチャツコ(Olga Peretyatko)…マティルデ・シャブラン
マルコ・フィリッポ・ロマーノ(Marco Filippo Romano)…ライモンド・ロペス(コルラディーノの宿敵でエドアルドの父)
アンナ・ゴリャチョヴァ(Anna Goryachova)…エドアルド(ライモンド・ロペスの息子で囚われの身)
ニコラ・アライモ(Nicola Alaimo)…アリプランド(コルラディーノの侍医)
パオロ・ボロドーニャ(Paolo Bordogna)…イシドーロ(詩人)
キアラ・キアッリ(Chiara Chialli)…アルコの伯爵令嬢
シモン・オルフィラ(Simon Orfila)…ジナルド(塔守)
ジョルジョ・ミッゼーリ(Giorgio Misseri)…エゴルド(村人のリーダー)
ウーゴ・ロサーティ(Ugo Rosati)…ロドリーゴ(武装護衛長)