今回の記事はかなり自分勝手な内容なので、注意して欲しい。
自分の話を聞いてくれる人が居ないという「足りない部分」を、私はツイキャスで補おうとしてきた。特に長期休暇中は孤独を感じやすいので、ツイキャスに入り浸る頻度が高くなる。だが、ツイキャスは上手くいかないことが多く、余計にストレスを増幅させてしまう可能性がある。残念ながら、このGW中はツイキャスによってストレスを感じることが多々あった。この記事で1つ1つ処理していこう。
まず、自分が放送する側として感じたストレスについて考える。ここ数日、毎日枠を開いていたのだが、人がほとんど来なかった。Twitter上の知り合いの中には「暇だー」とつぶやいている人が居たのだが、その人は私の放送には来なかった(以下、この人をC氏と呼ぶことにする)。「時間はあるけれど、お前のために時間を使う気はないよ」という意思表示なのだろう。
C氏もよくツイキャスで放送をしている。私はC氏の放送へ行き、コメントをしている。私の話をするわけではなく、C氏の話に対して反応するようなコメントをすることが多い。C氏の放送には常に数人の閲覧者が集まってくる。C氏は好きなだけ自分の話をすることが出来るのだ。一方で、私の放送にC氏は来ない。こちらがいつも話を聞いているのに、私の話は聞いてくれないのか。それは少し都合がよすぎるんじゃないか。
私の放送にも、時々ではあるが人は来る。ただ、中には私の話を全く聞く気がない人が居る。例えば、私が「最近はこんなことで悩んでいます」と色々話している時に、「ところで私って◯◯なんですよ」と、何も関係のない話を振ってくる。こちらの話をまともに聞かないくせに、自分の話だけ聞いてもらおうとする。かなり自分勝手な人だ。仕方がないので、私の話は中断し、相手の話を聞いてあげている。表には出さないが、こういう輩が来ると「ああ、またコイツか……」と心のなかで思ってしまう。
枠を開いて誰も来ない時、私は10分くらいでそっと枠を閉じる。この1時間後、他の知り合いが枠を開いたので、少し覗いてみた。枠を開いてすぐに数人が集まってきた。それほど時間帯も変わらないのに閲覧者数がここまで違うということは、それだけ私が求められていないということだろう。これが現実だ。
次に、閲覧者の側としてのストレスについて考える。先述のC氏の放送に行った時、閲覧者が数名居た。私もコメントをしたのだが、C氏は明らかに閲覧者の中の特定の1人にのみ話をしていた。つまり、その1人以外の人間は相手にされていなかったのである。そんなに話がしたいならSkypeやLINEでやればいいのに。何でわざわざ時間を使って放送を見に来ているのに、ゴミのような扱いを受けなければならないのか。
素直に言うと、私はC氏が羨ましい。こちらが何も犠牲にしなくても、取り巻きが勝手に餌を運んできてくれる。なんて楽なんだろう。
このようなストレスを感じるのは、私が他人に期待をしすぎているからだろう。この事実には以前から気がついていたものの、未だに無駄な期待をしてしまう。自分が求めているものはどこにも無いのだ。事実をきちんと受け入れて、前に進もう。