頭の良さ | 絶え間なき潤いを求めて

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心を浄化させるために。

 頭の良さとは何で決まるのか。高校生までであれば、ペーパーテストの点数で頭の良さを測る。しかし、大学生になると、次第にペーパーテストが減っていく。頭の良さは「話を瞬時に理解できるか」、「論理的に考え、論理的に話すことが出来るか」というような数字で表しづらい部分で判断される。「要領が良いか」という部分も見られるかもしれない。

 

 私の場合、高校生までは「頭の良い人」として通ってきた。ペーパーテストでは、それなりの点数を取り続けていた。ただ、周りの人よりも要領が悪かった。他の人が授業時間中に理解できるような内容でも、私の場合はすぐに理解できないことが多かった。仕方がないので、私は他の人よりも勉強に時間を掛けることにした。授業中に理解できなかった部分は、家でゆっくりと理解していく。家の中なら、口うるさい教師に「えっ、なんでこれが分からないの?」などと言われることもない。自分のペースで咀嚼していけばいい。テストで点を取ることが目的なのだから、授業中に理解できなくてもいいじゃないか。

 

 ただ、社会人になるとそうはいかない。社会人は仕事量が多く、スピードが要求される。私のような自分のペースでゆっくり咀嚼するようなタイプでは、周りの人に追いつけない。「足りない部分は時間で補う」という戦法が使えない。

 先日も、少し嫌な出来事があった。上司に言われたことが瞬時に理解できず、的外れ無いことを言ってしまった。たった30秒程度の出来事だったのだが、今でも恥ずかしさが残り続けている。このような状態で、この先やっていけるのだろうか。会社へ行くのが段々辛くなってきた。

 

 自分は脳に何らかの障碍があるんじゃないだろうか。そんなことを考えることが度々ある。理解力以外にも、本を上手く読めなかったり(読んだ内容がすぐに抜け落ちてしまう)、話すときに言葉が上手く出てこなかったりする。このような不安があり、頭が良くなるサプリメントをネットで検索してみた。評判が良い物があれば、試しに飲んでみようか。

 

 そういえば、先日「話を聞いて、要点と感想を書きなさい」という課題が出された。実際に話を聞いたのだが、どこが大事なポイントなのか分からなかった。先輩は私に「今の段階で話を聞いても、多分理解できないよ」とフォローしてくれたのだが、それでも自分の理解力の低さに絶望してしまう。さらに、要点と感想を書くときに、言葉が出てこなかった。結局、私は搾りかすのような文章を提出するしかなかった。

 

 昔から私は感想文を書くのが苦手で、いつも原稿用紙1枚半くらいでストップしていた。当時の小学校の教師に「もっと書きなさい」と言われたことがあるが、書けないものは書けない。原稿用紙1枚半程度の感想しか抱かなかったのだから、どうしようもない。原稿用紙に何枚も文章を書きなぐる生徒が評価されていたが、実際にそんなに良い文章なのだろうか。細い骨に贅肉をたっぷり付けただけじゃないのか。それとも、贅肉を付ける技術が要求されていたのだろうか。

 

 「えっ、こんなに文章が書けてるじゃないか」と思われるかもしれない。ただ、このブログ(特にこの記事)は例外だ。不安を吐き出すために文字を打ち込んでいたら、これだけの分量になってしまったというだけの話だ。文章を書くためには、何かしら原料が無ければならない。感想文なんて、大して感じることが無いなら書けるわけがない。

 

 今後は人の話を聞く際に、「後で文章として書けそうな部分」を意識すると良いかもしれない。最初は上手く行かないかもしれないが、訓練だと思ってやってみよう。