
この半世紀のレガシーを何らかの形で継承してほしい。
7月29日、いち映画館が、その約半世紀の歴史に終焉を迎える。
岩波ホール。
小さい多目的ホールとして産声を上げて、
1970年代から髙野悦子と川喜多かしこが音頭を取り、
映画運動「エキプ・ド・シネマ」の拠点映画館として稼働し、
クロージング作品の「歩いてみた世界」まで、この映画館で取り上げたのは、66ヶ国・地域の274作品。
岩波ホールが無かったら、ミニシアター文化はなかったことになっていたでしょうね。
映画を通じて、いろいろな国の文化、人間性に触れただけでなく、
日本映画の名作を次々と送り出しており、特に「父と暮せば」は映画賞総なめの快挙を成し遂げました。
ワタクシも、この4月に満を持してご来訪し、
この日に見た映画のチケット、宝物にします。
岩波ホールが歩んできた半世紀はかけがえのないものであると認識しています。
その半世紀のレガシーを何らかの形で継承してほしいと願っています。
今の時点では、国立映画アーカイブ(独立行政法人国立美術館)や、
東京都及び地方の図書館にパンフレット、会報誌、ポスターを収蔵するだけ。
出来れば同じ一ツ橋・神保町で、エキプ・ド・シネマの拠点映画館、
多目的ホールではなく、立派な映画館で蘇ってほしいわ。
ちょうど岩波神保町ビルのとなりのドラッグストア跡地(旧スーパー冨士屋)でビルが建て替えられるので、
そこで映画館を作ってみてはどうよ?!