戦後の映画界で挑戦者精神が生んだ快作。
いよいよ「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開が、唐突にも3月8日(月)に決まりました。
平日の月曜日初日ですが、ズル休み続出するな・・・
で、急遽「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開が決まり、
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ3作を振り返りたい方は、
アマゾンプライムビデオで見放題独占配信中ですので。
と、「アマゾンプライムビデオの会員見放題で見つけた、ワタクシがチェックし損ねた映画な話。」
2度目の緊急事態編第9弾は1953年公開の「地獄門」。
岩波ホール総支配人でエキプ・ド・シネマの立ち上げに尽力した高野悦子(1929-2013)の師匠で、
女形俳優から映画監督に転身した衣笠貞之助監督(1896-1982)が、
大映(現:KADOKAWA・映画事業部門)の下、大映初のカラー作品として公開され、
第7回カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した歴史ドラマ。
何で急に変化球的な作品を出したかというと、岩波ホール関連のことを調べていくうちに、
1982年、衣笠監督の追悼企画として、
サイレント時代の代表作「狂った一頁」「十字路」の特別上映が行われたことを知り、
衣笠監督のことを調べてみたら、カンヌ最高賞を受賞した「地獄門」に目を付け、
アマゾンプライムビデオで調べてみたら、会員見放題で見つけました。
この作品は、菊池寛の戯曲「袈裟の良人」を原作に、
衣笠監督とは長年コンビを組んでいる長谷川一夫と、
大映の絶対的エース女優で”グランプリ女優”の異名を持った京マチ子をメインに据え、
当時大映を牛耳っていた永田雅一社長の鶴の一声でカラー撮影を厳命され、
色彩指導に洋画家の和田三造を起用して、平安時代の色彩の再現に努めたことと、
芥川也寸志の劇伴も優れていたこともあってか、見事カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞。
平安時代末期。
平清盛の厳島詣の留守を狙って起された平治の乱で、
上皇とその妹を逃すため、平康忠(香川良介)は身代わりの女・袈裟(京マチ子)を荷車に乗せて、
遠藤盛遠(長谷川一夫)を護衛に付けた。
ところが盛遠は夫・渡辺渡(山形勲)がある身の袈裟に心を奪われたことで、次第に人生を狂わされ、
そして、真言宗に出家する原因となった、袈裟と彼女の祖母・佐和(毛利菊枝)を脅す凶行に。
単に、未練たらたらのええ歳こいた男が、
夫がいる女にほれ込み、ストーカー行為を働いてしまう、シンプルな話にして、
アンジャッシュの渡部建顔負けのゲスい話ですが(笑)
第7回のカンヌ国際映画祭で審査委員長を務めたジャン・コクトーがほれ込んだのもわかるわ~
この作品は、終戦から8年を迎え、
この手の規模の映画を撮るのには当時莫大な資金が必要とされ、
大映の社員からは多くの反対意見が出たにもかかわらず、
永田雅一社長が「だったら俺一人でやる!」と啖呵切って自らプロデュース。
これまで、戦前は松竹、終戦直後は東宝で映画を撮っていたが、
フリー転身後の東宝争議の被害を受け、1950年に大映入りした衣笠貞之助を監督に起用。
日本映画で初めてイーストマンカラーを採用したことで、
衣笠監督はこれまでのモノクロの撮り方で行こうか、悩んでいましたが、
洋画家の和田三造が平安時代の色彩のアドバイスを受け、
松坂屋の衣装調製も優れていたことも、評価を押しあげてくれた。
まさにチャレンジ精神の賜物。
衣笠監督は1966年、日ロ合作の「小さい逃亡者」を最後に映画監督業から引退。
東宝歌舞伎(東宝主催の歌舞伎公演)の演出を手掛けたのち、1982年に逝去。
だが、今の日本映画界、衣笠監督以上の志を持った監督、未だ出てないんだよね~