もし杉原千畝の勇気が早く認められたら、日本の情勢は変わっていたはずだ! | ガンバボーイ2号のGuerrilla Radio

もし杉原千畝の勇気が早く認められたら、日本の情勢は変わっていたはずだ!

2015年も残り2日。
年末年始休暇2日目はお出かけして、「杉原千畝 スギハラ・チウネ」を見る。
数々のハリウッド映画の助監督を経て、「サイドウェイズ」で監督デビューを果たした、
和歌山県生まれの米国人監督、チェリン・グラックの監督2作目。
約6000人のユダヤ人難民を”命のビザ”で救ったリトアニア領事代理、杉原千畝の生涯を、
唐沢寿明が落ち着いた演技で表現したせいで、落ち着いて見られたわ。

1935年、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させたることに成功した諜報役の杉原千畝は、
彼を警戒するソ連から入国を拒否され、念願だったモスクワ行きを断念。
帰国後、幸子(小雪)を妻に迎え入れた千畝はリトアニア共和国に赴き、
諜報活動の一環として、現地の日本領事館の領事代理として勤めることになる。
1939年、第二次世界大戦が勃発し、
ナチスドイツの弾圧から逃れた多くのポーランド系ユダヤ難民が、
自由を求めて日本領事館に詰めかけてきた。
相手にしてくれない外務省に苛立った千畝は、
独断でユダヤ難民にビザを発給するという、暴挙に打って出る。

杉原千畝の生涯については、テレビの教養バラエティ番組あたりのレベルくらいでしたが、
この映画を通じて、今の日本政府関係者に見てもらいたいって感じ取った。
全編ポーランドロケ敢行で、リアリティを追求した映像に説得力があったわ。

全編モノクロ(結末部だけカラー)で製作されたスティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」で、
労働力として約1200人のユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーが注目されたことで、
日本にはオスカー・シンドラーのようなユダヤ人を救う「勇気ある決断」をした人物として、
杉原千畝の存在が注目され、”日本のシンドラー”として呼ばれるようになった。
もし「シンドラーのリスト」が公開されなかったら、杉原千畝は歴史の闇に葬り去られていたかもな。


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