工藤公康は野球がチームスポーツであることを再認識させてくれた。 | ガンバボーイ2号のGuerrilla Radio

工藤公康は野球がチームスポーツであることを再認識させてくれた。

福岡ソフトバンクホークス、連覇しちゃいましたね。
前任者の秋山幸二からバトンを受けついたのが、指導者経験ゼロの工藤公康。
2011年まで現役を続けてきた男が、
(実際には2010年まで西武に在籍し、2011年は浪人生活の後に現役引退。)
指導者経験ゼロで優勝して当たり前の福岡ソフトバンクホークスの監督を引き受ける。
当初はあまりにも無謀過ぎかと思われたが、
そこは工藤公康。
80年代の西武ライオンズの第1次黄金期に、
広岡達朗と森祇晶という2人の偉大な指導者に可愛がられ、
常勝集団の中枢を担ったんだよね。
この後、福岡ダイエーホークスでは王貞治、読売ジャイアンツでは長嶋茂雄と、
移籍先でカリスマ性のある指導者に出会ったことで、独自の野球道を作り上げてきた。
この4人の「戦い方」は、工藤公康にとって、のちに役立つ「財産」となり、
現役引退後のテレビ中継の解説者期間で構築され、
2015年、福岡ソフトバンクホークスの監督に就任し、
日本生命セパ交流戦、パシフィックリーグ、パシフィックリーグクライマックスシリーズ、
そして、日本シリーズ制覇と、完全優勝を成し遂げた。

前任者である秋山幸二政権時の”財産”を上手に活かしたのも、
1986年、広岡達朗から森祇晶に西武ライオンズの監督を引き継いだ時に似ていて、
「常勝」を義務付けた球団の監督を引き受けるには相当な重圧があったが、
前任者の財産を活かしてくれたことで、「常勝」軍団ここにありをアピールしてくれた。

さらに、工藤監督はこの4人にはなかったものを取り入れた。
それは「愛」。
愛情をもって、選手たちと真摯に向き合い、選手全員で戦ってこそが野球だと。
投手には無理をさせず、野手には「躊躇なくいってこい!」とハッパ。
野球は1人では戦えない。
先発を担っている選手はもちろん、代打、代走、セットアッパー、クローザー、
守備固め要員、敗戦処理投手も、みんな仲間。
みんな仲間で戦っている。

工藤公康監督に率いられた福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズは、
野球がチームスポーツであることを再認識してくれたシリーズになったんじゃないかなぁ。


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