K点を超えた戦いの代償で・・・。箱舟の主よ、永遠に。
プロレスリング・ノアの選手兼任社長である三沢光晴氏が土曜に行われた試合中に頭を強打し、
心肺停止のまま午後10時10分、逝去した。
2代目タイガーマスクから突如素顔を披露(’90年5月)した後の三沢氏は、
全日本プロレス時代、四天王プロレスの躍進で天龍源一郎が去った後の団体を支え、
プロレスリング・ノア設立後は、日本のプロレス界に常識を覆す試みを連発。
まさにプロレス界の盟主への道まっしぐらの様な快進撃の一方で、
タイガードライバー’91の登場で、日本のプロレス界に受け身が取りづらい過激技が横行してしまった。
三沢氏の歩んだ道は、K点を超えた戦いの連続でした。
突然の別れが悔やまれます・・・。
安らかにお眠りください。
合掌。