日本語ロックの立役者、逝く。
がんと闘病しながら、音楽活動を続けていたロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳。密葬を近親者のみで行い、葬儀と一般の弔問を受け付ける告別式は9日正午から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻、栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
“日本語ロック”というジャンルを確立するともに、毛先を立てた奇抜なヘアスタイルや派手なメークが人気を呼んだ。一方で、過激なパフォーマンスや言動が話題を呼び63年、アルバム「COVERS」の原発問題を扱う歌詞が物議をかもし発売中止になった。
※産経新聞5月2日23時16分配信分より一部引用。
正直、ショックです。
大阪では、FM802の電波で流れている「OH RADIO」が、
清志郎さんにとっては、おそらく(作詞・作曲者として)生前最後の楽曲になってしまったとは・・・
真正面からロックに向き合い、破天荒な生き様に共感した人間が何人いただろうか・・・。
死に向き合う覚悟と姿勢に感動した人間が何人いただろうか・・・。
カーラジオから スローバラード
夜霧が窓を包んで
悪い予感のかけらもないさ
ぼくら夢を見たのさ
とってもよく似た夢を
(「スローバラード」RCサクセション)
死の床に臥す瞬間、この曲の一節が脳裏に浮かび、日本語ロックの神様は天へ召された。
ご冥福をお祈りします。