Will Be 1100万人への道[38] | ガンバボーイ2号のGuerrilla Radio

Will Be 1100万人への道[38]

2008年一発目の「1100万人への道」はクラブの本気度を問う話題を。


 千葉の日本代表MF羽生直剛(28)のF東京への完全移籍、MF佐藤勇人主将(25)の京都への完全移籍が13日、決定的になった。大宮からオファーのあった日本代表FW巻誠一郎(27)は残留する。この日来日したヨゼップ・クゼ新監督(55)は、3選手と会談したが、羽生と佐藤の移籍の意思を覆すことはできなかったようだ。
 千葉はMF水野(セルティック)、山岸(川崎)、DF水本(G大阪)らに続く主力の放出。生え抜きの選手が次々と代表クラスへと育つ中、より良い環境を求め施設拡大などを要求したが、会社側は積極的な投資をしなかった。また、アマル・オシム監督解任の際、淀川隆博社長が“脱オシムサッカー”を宣言したことも選手の不快感を増した。
 11日には選手から信頼が厚い昼田宗昭強化部長の新GM就任が発表されたが、代表合宿が15日から始まるということもあり、選手は新GMの一報を聞く前に決断を迫られていた。オシムサッカーの象徴ともいえる2人の移籍で、クゼ新体制の船出はさらに険しくなりそうだ。
(スポーツ報知1月14日8時0分配信分より抜粋)


ジェフ千葉は’02年イビチャ・オシムが監督就任したときから大きく変貌を遂げた。

阿部(現浦和)、巻、羽生、佐藤勇、山岸、水野、水本と積極的に若手を起用し、

基礎からのチーム作りで大躍進を遂げ、ナビスコカップも’05年、’06年と2連覇。

下部組織の充実やアマチュア部門をJFLに参戦するなど、戦力の育成に関しては上々だった。

ホームスタジアムを千葉市蘇我にあるフクダ電子アリーナに移転し、ホームタウン広域化に勤めた。

ですが、’06年のシーズン途中、イビチャ・オシムの日本代表監督就任に伴う、

息子でコーチのアマル・オシムを監督に昇格させた頃から一気に動乱を招き、

フロントのドタバタ体質が大きく露呈することになった。

’07年、祖母井(うばがい)秀隆チーム統括部長がフランス2部のグルノーブルのフロントに入ったことに伴う

後任人事で、唐井直の就任が後手後手に回ったことに、選手から不信感を招いた。

DFストヤノフがアマル監督を批判し、謹慎処分の後、契約解除・広島に移籍。

(これはチーム内部のドタバタを象徴した出来事)

これがチームの不調につながり、この年のリーグ戦が13位。ナビスコカップ、天皇杯も早期敗退。

これらの責任をとる形でアマル監督と唐井チーム統括本部長は辞任することになったが、

後任人事はJ1リーグのチームで唯一越年した。

戦力強化に大事な練習場の充実における投資もフロントの消極的姿勢になったことでクラブ不信を招いた。


閑古鳥の鳴いた市原時代からホームタウン広域化によるフクアリ時代に移り、

日本代表選手を多く生み出したにもかかわらず、フロントは何を考えてるんだかわからない。

古河電工サッカー部時代から続く伝統ある老舗クラブなのに、このクラブの方向性が定まらない。

Jリーグの理念である地域に愛されるクラブとはかけ離れ、企業クラブから脱却はできないのか!

フロントも積極的に転じなければならない。

サポーターに愛されるクラブへの道はイバラ道なり。


ま、水本を引き抜いたガンバ大阪にも、ジェフ千葉の内乱を起こした責任はちょこっとある。