Will Be 1100万人への道[36]
優勝の行方は最終節にもつれこまれたJ1。
片や、J1昇格レースも最終節にも連れ込まれたJ2。
今回はJ2の方で、これは予想できなかった!なのが東京ヴェルディ1969。
2005年のJ1リーグで、年間17位でJ2自動降格となった東京Vは、
復帰の切り札として、クラブOBであるラモス瑠偉を監督として招聘。
2006年はJ2リーグだけでなく、2部のチームとしては異例のAFCチャンピオンズリーグ出場と
年間50試合以上こなさなくてはいけない重圧と、それによるモチベーションの維持、
先発スタメンがほぼ毎試合ごとに入れ替わり、安定感を欠いた戦いが仇となり年間7位に。
かろうじてラモス体制は2年目も継続。
服部、名波、土屋といった経験豊かなベテラン選手に、J2で実績を残したフッキ、ディエゴを加え、
とてもJ2のチームとは思えない布陣は絶対にJ1に復帰させる気合の現われだったが、
クラブワーストタイの7連敗(第7節~第13節)を喫し、
第13節のvs水戸戦(国立)は不調のチームを相手に屈辱とも取れる大敗を喫し、
解任濃厚と報道されたが、その次戦・第14節vs京都戦(西京極)でのフッキの大爆発で一転続投に。
気が付いたら超人フッキに導かれ、昇格レースに加わるようになり、
ようやく第51節で昇格圏内となる3位以内が確定。
その傍ら、’05年までは疎かとなった西東京地区及び京王線沿線地域を中心とした地域密着活動も、
J2降格を機に活発になった。
地域に行われるイベントに、サイン回やサッカー教室への選手の派遣と、スタジアムイベントの出張開催。
地域コミュニティFMでの試合中継放送。
J1昇格争いに加わると、”緑の千羽鶴”キャンペーンも開催され、
よりクラブと地元地域の密着感が良くなったと思う。
インターネットの世界でもアメーバブログを展開するサイバーエージェントとタッグを組んで、
キャンペーンサイト「アメーバヴェルディ 」を展開し、ヴェルディサポだけでなく、
すべてのサッカーファンに向けたブログコミュニティとして大いににぎわっており、
昇格ムードに拍車をかけている。
日本テレビがクラブの筆頭株主ではあるが、地上波の民放テレビ局に頼らない展開を進めてきて、
クラブと応援してくれる人々との絆が強くなったのではないでしょうか。
昇格レースの行方は12月1日(土)。
レッズか、アントラーズか、と騒ぐのもいいが、地に堕ちた名門の復帰も忘れてはならない。