Will Be 1100万人への道[34]
名古屋グランパスエイトは今季限りで退任・指導者職から引退を表明している
セフ・フェルフォーセン監督(60)の後任として、クラブOBのドラガン・ストイコビッチ氏に就任を打診したが、
Jリーグの監督資格基準を満たしていなかったことが発覚し、断念せざるを得なかった。
ピクシーの愛称で親しまれたストイコビッチ氏といえば、現役時代旧ユーゴスラビアが生んだ英雄であり、
芸術的なプレースタイルから名古屋のサポーターだけでなく、
日本のサッカーファンから愛された名選手である。
現役引退後はユーゴスラビアから分離独立したセルビア・モンテネグロサッカー協会の会長、
レッドスター・ベオグラードの会長を歴任したが、10月12日、レッドスターの会長職を辞任し、
関係者から名古屋の監督に就任するという噂が流れていた。
名古屋はこのときから本格的に交渉を進めさせたが、UEFA(欧州サッカー連盟)のライセンスは
保有しているものの、Jリーグに確認したところ、監督資格を満たしていなかったことが判明。
就任オファーを断念せざるを得なかった。
ゼネラルマネージャーとしての就任の可能性もあったが、名古屋側はあくまで監督就任のオファーとして
断念したというのだ。
今回「”ピクシー”監督就任か?!」と聞いて、楽しみにしていた人間は多くいたと思う。
だが、それも泡と消えた。
名古屋側の首脳陣は、名古屋の”ピクシー”監督実現のためバックアップを進めるべきだと思う。
その実例になるべき人間が現在浜松大学サッカー部監督を務める桑原隆である。
PJMフューチャーズ、鳥栖フューチャーズ(現:サガン鳥栖)のコーチ・監督を経て、
’96年にジュビロ磐田入り。
’96年は強化育成アドバイザーだったが、’97年ルイス・フェリペ監督就任に伴い
トップチームのコーチに就任したが、フェリペ監督が1stステージ途中で辞任し、
桑原コーチが指揮を執ることになったが、Jリーグに必要なS級ライセンスを保有しておらず監督代行に。
この年の2ndステージ優勝&サントリーチャンピオンシップ制覇に導いたが、
あくまで監督代行であることから翌’98年は強化部長としてフロント入りした傍らS級ライセンス取得。
一度クラブを離れるより、クラブがS級ライセンス取得に向けてバックアップしたことが正解。
’99年に正式に監督に就くと、1stステージ制覇。2ndステージは振るわなかったものの、
この後に行われたサントリーチャンピオンシップ制覇を果たした。
桑原監督はこの年限りだったが、数年間続いた磐田の黄金期の礎を作ったといっても過言ではない。
桑原氏の例を見て、クラブは”ピクシー”が日本で指揮を執れるようバックアップを進めるべきだと思う。
ゼネラルマネージャー就任の傍ら、日本サッカー協会公認のS級ライセンス取得講習会に参加させて、
1年でS級ライセンスを取得し、晴れて監督就任というシナリオが出来上がる。
”ピクシー”が監督に就任すると、スタジアムから遠ざかっていた地元名古屋のファンを
呼び戻すことが出来て、もう一つのセールスポイントであるキレっぽいアピールが
ファンを煽り立て、スタジアムはモッシュピットになるだろう。
中日ドラゴンズに”伝説の熱血漢”星野仙一がいたように、
名古屋グランパスにも”伝説の熱血漢”ストイコビッチを監督にするため、
クラブのバックアップが必要ではないでしょうか。