作品の本質が後半に出ていた。 | ガンバボーイ2号のGuerrilla Radio

作品の本質が後半に出ていた。

映画の日(1000円均一)の日曜日、人気の児童文学を映画化した「バッテリー」を見た。

先入観なしで見ましたが、これはキテます!


ストイックなまで、ひたすら野球に打ち込んできた原田巧は、中学入学を控えた春休みに

祖父の居る岡山県境の地方都市に引越ししてきた。

引越し早々、巧は試合でのピッチングを見て惚れ込んだ長倉豪とバッテリーを組むことを熱望され、

中学の野球部に入部したものの、そこで問題が・・・


この映画に描かれている中学の野球部は、現在のサラリーマン社会とダブって見える。

部下は上司の言うことに従うこと。

全てが競争ゆえ、ライバルも存在する。

常に結果を早急に求められる。

こんな野球は孤独の野球と揶揄されることも当然。

映画の後半で、野球は交流のスポーツであることを思い知らされた。

約90分経過のところからと言えば分かると思うが。

この部分が作品の本質を出している。


この映画でメガホンを取った滝田洋二郎監督。こんなに美しい感動する作品を撮ってみて、

22年前(’85年)まで痴漢モノのピンク映画を撮っていた監督とは思えなかっただろう。

「コミック雑誌なんかいらない!」を見て、まさか日本を代表する映画監督の一人になっていたとは・・・。

滝田洋二郎、恐るべし。