紳助、悲しみを押し殺して・・・ | ガンバボーイ2号のGuerrilla Radio

紳助、悲しみを押し殺して・・・

島田紳助はテレビの改変期になると、いつも以上にハッスルする。

1つは読売テレビ製作の「芸能界の厳しさ教えますスペシャル!」。

もう1つはTBSテレビ製作の「オールスター感謝祭」。

「オールスター感謝祭’06春」放送日の4月1日早朝、島田紳助の下に訃報が。

かつての相方だった松本竜助が脳出血で急逝した。享年49歳。50歳まで、あと6日のことだった。


かつて80年代の漫才ブームを走った漫才コンビ「紳助・竜介」は若かりし日のダウンタウンの漫才を見て、

「俺たちは追いつこうとしても追いつけられへん。もう漫才やるの限界や。オレらの時代は終わった。」と悟り、

翌日、電撃的にコンビ解消した。その後、袂を分かち割ったコンビの明暗はくっきり現れた。

紳助は漫才で培われた巧みな話術を生かし、多くのTV番組で司会を担当。今や名司会者の称号を得た。

竜介は様々な事業に手を出し、失敗を繰り返し、’98年に自己破産を申請。芸能活動の危機も囁かれたが、

芸名の竜を竜に改名し、「借王(シャッキング)」「借金地獄」などのVシネマ出演をはじめとする

地道なピン活動で食いつないでいた。


紳助は「50になったらまた漫才しよう。トレードマークのつなぎも新調したから。」とコンビ再結成の青写真を描いていたが、

3月22日に頭痛を訴え緊急入院、紳助もかつての戦友が入院したと聞き3回ほど病院に駆けつけた。

「再び漫才やろう」の思い空しく、4月1日を迎えた。

昨年放送されたジョージアのCMで、紳助・竜介の漫才の映像が挿入されていたのは、

この日が来るのを予見していたのかもしれない。


紳助の心境は複雑だったに違いない。

自分は今日の大仕事を控えている。でも、こんな気持ちで今日の番組、進行できるだろうか。

昨年初頭、紳助が女性社員に対する暴行事件で謹慎処分を受けたとき、竜助は何度も紳助の自宅を訪ね、

「お前は落ちぶれた俺とは違う。天才だから大丈夫や。」と励ましていた。その恩を返したい。

生放送まで2時間前に記者会見を行い、戦友が亡くなったことに対する悲しみをぶちまけた。

「アホ、ボケしか言うことない。悔しい」

怒りに聞こえるかもしれないが、それ以上の悲しみの深さを表している。

午後6時30分、5時間半の生放送はスタートした。

テレビの中では、いつもと変わらずに番組の流れをコントロールしている島田紳助がいる。

悲しみを押し殺して、いつもと変わらずに仕事をこなし、

午後11時46分、山田雅人の総合優勝のコールで番組は無事幕を閉じた。


だが、紳助はスケジュールの都合上、戦友の通夜、告別式には出席しない方針を決めている。

もう骨の髄まで仕事人間が身についてしまったのか。