ちょっと重い思い出 | ✱・ちわわせらいふ・✱ 保護犬・麦と我流との日々

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❀元保護犬 麦と我流の記録❀

麦と我流はSmilewan卒業生です♪
麦は2019年2月15日
我流は2023年12月19日
に我が家にやってきました☆

今日は懐かしい写真から。

まだパピーのテツとモモ😊


半年違いの兄妹。
癌治療中だった母が相次いでペットショップで見つけてきた子たち。

テツは術後直ぐ...当時、私は就職してまだ間もなくて、仕事の後も夜遊びばかりで家にあまりいなかったから、きっと母は家でひとりで過ごすのが寂しかったんだと思う。 

モモの時は、ペットショップで手の平におさまるほどの小さなモモに一目惚れして毎日通っていた母...。

ある日、私も連れていかれて、「この子と私どっちが長生きできるかな?」なんて言い出して、
おねだりされ買ってきた子...。

この人、万が一、自分が死んだ時のこと考えていないのかな?無責任すぎるわ...。
それとも、経過が良い証拠?
そうであってくれたら嬉しいのだけど...。

なんか、モヤモヤしながらもモモは家の子になった。

アニコミさんは、いづれ私が一人ぼっちになることを母が心配して「家族」を作ったんだと言っていました。

そうなの?

そう言えば、直接の血縁はないけれど血統書では4代前のお爺さんが同じ犬舎だったね😊
2人とも同じペットショップ出身だからかな?
もしかしたら、どこかで繋がってるのかなぁ😊




ジジ。


彼も母が遺したスコ猫ちゃん。
おっとり大人しくて、理不尽なことでモモにいつも追いやられても手も出さない優しい子。
この子もやはり母がショップで見つけてきて、後日、まだお給料の少ない私にローンを組ませて家に連れてきたのでした💧


祖母宅に帰省した日。
テツと茶々(ヨーキー)。


茶々はテツモモとジジが家にくる何年も前に家にいた子。
父が亡くなって直ぐ家にやってきたヨークシャーテリア。
私は10歳くらいだったかな?

この時もやはり寂しかったのでしょう...か?
母は父の会社を継ぎ、男しかいない現場の仕事でストレスをため、次第にお酒に溺れていきました。
一日中お酒の入った母と私は毎日喧嘩。
進路の話もマトモに出来なくてイライラしてるのにお酒のお使いを頼まれてキレたガキンチョの私が、子供に世話させて恥ずかしくねーのか!なんて暴言を吐き、母は「あん達のせいよ!私ひとりだったら、こんなに辛くなかった!」と泣かれ、そのまま茶々を連れて実家に逃げて、茶々を伯母の元へ置いてきたのです。
私のせいで茶々が連れて行かれてしまった...。

突然のことで伯母も驚いて、暫くは迎えに来ないの?と言っていましたが新潟と愛知。
当時14歳の私が直ぐに行ける距離じゃありませんでした。
茶々を押し付けられた伯母は文句も言わず、最期まで大切にお世話してくれて、茶々が亡くなった時には、「うちに連れてきてくれて、ありがとう」と言ってくれました。

母のお酒のトラブルは癌になった事で解消され、いつもの母になった時にはもう茶々は私達よりも伯母家族に懐いていました。
母は茶々に対し申し訳ない気持ちまま逝ったと思うけど...伯母も幸せだったし、茶々も田舎でのびのび生活できていた事を思うと喧嘩ばかりの家にいた時よりはウン倍も幸せだったと思います。
多くても1年に1度しか会えなかったけれど、茶々は17歳まで生きてくれました。

茶々の事があって、母はその後、2🐶1😸(テツ、モモ、ジジ)を飼ったことを ずっと実家に内緒にしていて、祖母達が母の見舞いに来た時にバレて...。
皆、玄関に入るなり一時停止...びっくりしていたのを今でも覚えています。

3匹もいるがーよ!」って💦

でも、誰も母を叱らなかった。
33歳で父に先立たれ、9歳と13歳の悪ガキ2人、父の会社を継ぎ、ストレスでお酒に溺れ...。
44歳で癌になり再発を繰り返しながら49歳で逝ってしまった。

母は女手一つで私達を育ててくれました。
私には到底理解できない苦労もあったはずで、茶々を手放すのも色々と切羽詰まった結果だったのかも知れません...。
私の暴言が後押しになったのも否定できません...😢

...仕事と子供のことばかりで楽しいことはあったのかな?
...きっと、お酒しかなくなっちゃったんだよね。

母が遺したジジ、テツ、モモも病気や老衰で相次いで亡くなり、私は人生で初めて犬がいない生活になり...こんなに寂しいものなのかと...。

ひとりぼっちになった訳じゃない。
旦那もいる、義家族もいる。
皆いい人たち。
テツもモモもジジも沢山 可愛がってくれた。

でも違うんだよね。あの子達とは...。


今は...

モモの通院がきっかけで麦が家に来てくれて、また明るい生活が戻りました。
犬がいない生活...私は2ヶ月半しか耐えられませんでした。情けないです...😢

でも、麦が来てくれて本当に嬉しい。
毎日にハリが出て、生き甲斐と言うか、この子のために頑張らないとって勝手に身体が動いています😊


私が自分の意思で、自分の責任で初めて迎え入れた保護犬の麦。

とんでもなく暴れん坊だけどチョット怖がり、ポジティブ過ぎて色々と難しいタイプだけど💦
本当に幸せです。
私達夫婦には子供がいないので、麦は子供のような存在です😊

母を非難した時期もありました。
辛くても、例えお金がなくなっても、手放すなんてありえない。
とんでもない人間だと...。

お酒に溺れた時の母は私の知っている母じゃありませんでした。
でも、母は誰よりも茶々を可愛がっていた。
帰省して茶々と再会した時、連れて帰るよね?と聞く私に、すっかり伯母の子になった茶々を見て母がまた引き離すなんて出来ないと影で泣いていたこと...。
茶々のためにオヤツや服を送ったり。
愛はあったと思います。
お酒のせいで起こした間違いだったと私は思っています。

その後、家に来たジジ、テツ、モモは本当に大切に大切に...先に逝くかも知れないけどごめんねと言いながら大事にしていました。

執拗いほど言われた、
この子たちのことお願いね。

母の3匹の宝もの達も、母が亡くなって7年後にジジが11歳で、10年後にテツが14歳で、そして最後に残ったモモは14年後に17歳で旅立って行きました。
私も伯母のように、3人を残してくれてありがとう。幸せでだったよ。と言っていました。

アニコミでモモの中に母の念が強く入っていてどっちか分からない。
モモもお母さんの気持ちでいたと聞いた時、母の後悔が聞こえたような気がしました。


長話になってしまいました。
もし、ここまで読んでくれた方がいたら...ありがとうございます。