本田親徳翁の「鎮魂法と帰神術」について考察したいと思います。
************************
鎮魂の原理
本田翁は幽斎の法にいくつかの種類があることに気が付き、それを詳細に明らかにされた。
前述したように、幽斎の法には、鎮魂法と帰神術そして審神者の法がある。
1.鎮魂法は、「みたましずめ」と「みたまふり」。
2.帰神術は、神霊に通じその御心を知る方法であり、具体的には、①顕界から能動的に行う方法(自感法)と、②顕界で受動的に行う方法(他感法)、③神の側(幽界)から行う(神感法)がある。
3.審神者の法は、帰神術や鎮祭等の際に重要な役割を果たす審神者に必要とされる「法」である。
本田翁は鎮魂と帰神について、古典の研究から根本的な違いに気づかれた。
それは「法」と「術」の違いである。
例が適切かどうかはわからないが、たとえば柔道は自然の理法を応用して技術が作られている。この理法と技術の関係は、「法」と「術」に通ずるところがあるように思う。辞書によると、
・理法とは、道理にかなった法則、のり、ことわり。
・技術とは、物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。
筆者の個人的な定義だが、鎮魂法は「神界の法則」であり、帰神術とは「神界の法則を用いた神霊との合一手段」だと思う。
前述の記紀の例示を見ても、鎮魂つまり「みたましずめ」と「みたまふり」は神御自ら行われている。これは神つまり神界の法則によって行われるものだ。
帰神術は、まず「能動的な自感法」と「受動的な他感法」があり、これらは共に人間の側からの合一手段である。そしてもうひとつ、神の側から行う合一手段の「神感法」がある。
そして審神者は、神の鎮魂である「みたましずめ」と「みたまふり」を、神の代理として行う。さらに幽斎に際しては、神の正邪、品位等を判別する。他にもあるが、それらを総称して審神者の法という。
