「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

 

 

 

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長沢翁の元には数千人、或いは数万人とも言われるほど沢山の人々が指導を乞い集まってきたという。しかしながら翁は本来の本田霊学を伝える難しさを痛感し、指導の現場から次第に身を引くようになる。そして稲葉大美津翁の様に、人を選び伝えるようになったという。(佐藤先生談)


本田霊学は、皇法、帰神、鎮魂と大変複雑で難しい修行が続く。そしていくつかの段階を経て、神界の許可を得られれば審神者の法が伝授される。地道で長い道程であり、指導者は常に修行者を霊的にケアしていなければならない。多人数相手にはとてもできることではない。長沢翁、武栄太夫翁(相州雨降山麓大山神社宮司)、稲葉翁、佐藤先生など優れた審神者が揃っていても、指導可能な人数は限られるのだ。
 

『自分は迷信打破を天職と心得ている。然るに稲荷講社が盛んになって来た時は、毎日面白いやうに信者が増して忽ち数万の信徒を擁することになったが、その信者達は自分の言ふことを少しもりかいせず、各自が勝手な迷信に耽っているので、これでは正しいしんこうを示して迷信を打破しようとしたことが反って反対の結果になったので、潔く講社の発展を止めて了った。』(「惟神 第2號 長沢雄楯大人追悼號」)

 

つまり本田霊学を基に大きな団体を作ったり、また宗教法人化するのは無理だということだ。もし作るならば、大本やそこから派生した宗教団体の様に本田翁の思想や法術から離れてゆくことになるだろう。