「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

 

 

 

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天宇受賣大神を祀る由緒ある神社は、筆者の知る限り、この月見里神社と滋賀県の千代神社の二社しかない。

 

この大神の御神徳は、帰神術の司神であると同時に、鎮魂石に鎮祭されるという意味に於て鎮魂法の神でもある(猿田彦大神は審神者の司神)。月見里神社は長沢翁が宮司を務める社だが、それは偶然ではないだろう。

 

佐藤先生は顕神本会設立に際して、長沢翁に月見里神社の御分霊を鎮めた御霊璽を頂いている。筆者も佐藤先生から同様の御霊璽を頂いているが、お鎮め頂いた神々は同じでも、その働きは必ずしも同じではない。それは「霊学の継承 戦後編」の中で説明したいと思う。

結論をいうなら、御霊璽は授けられた方にカスタマイズされているということだ。つまり他の方が引き継いで祀ることを前提としていない。その為か、佐藤先生は顕神本会の後継者指名をせずにお亡くなりになられた。その後、佐藤先生から審神者を許された方々の一部が集まり、顕神本会を存続させることを決めた時、横山氏が会長に選ばれた。だが、それが佐藤先生の本意であったかどうか、それは分からない。もし必要であれば、先生が御存命中に後継指名されていただろう。

筆者の後輩だった九州の渡辺勝義氏は、ほぼ1年足らずでお稽古会に来なくなった。それまではいつも部屋の隅に座っているだけで、他の人達とはほとんど会話もせず、静かな方だった印象がある。その後、国学院に通うようになり、神職の資格も取られた。ともかく勉強熱心な方だった。


佐藤先生がお亡くなりになられる数年前から、渡辺氏は度々先生のご自宅での稽古を願い出たが、その都度先生に拒否されていた(結局彼は先生から、審神者の資格を授けられていない)。時期的には彼が嫌っていた横山氏が審神者の資格を頂いた頃から、佐藤先生に対して自分にも伝授頂きたいと何度も迫ってていたことで、先生も徐々に避けるようになられたのだろう。

 

筆者は毎月の様に佐藤先生のご自宅に通いながら稽古を受けていたが、その際に「渡辺さんから電話が来ましたが、お断りしました」という言葉を何度も聞いた記憶がある。その辺りの経緯については、「霊学の継承 戦後編」で書きたいと思う。