「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

 

 

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鈴木家に本田霊学の法術部分が伝わっていないのは鈴木重道氏も明らかにしているが、廣道氏は鎮魂法を終生修行し続けたものと思われる。ただ審神者の法が伝授されていなかったために、新たに鎮魂石を作ることができず、帰神術の稽古もできなかったようだ。


一方、副島翁についてだが、審神者として活動したという記録は見当たらない。だが、明治天皇に深く信頼され、近くで仕えていたことを考えると、本田翁と神界が副島翁に審神者の伝授をされていたとしても不思議はない。本田翁の時代から、主要な審神者には神界より然るべき使命が与えられているのだから。

『三輪家、長沢家に伝わったものは断簡さえも殆ど渉猟せられて残るもの幾許という現状から思えば、廣道に授けられたことは或は神慮の然らしむる処かとも歎ぜられるのであります。そこには一徹と申してよい程に尊信して師霊を祀り、遺著を深く蔵して他見を拒み来った父祖二代の誠心が汲みとられるのであって、昨年はじめて全集の 刊行を見たのも時世が至ったものであろうかと思考されます。但し唯一度だけこの貴重な文献が散佚に瀕したことがありました。之は明治四十四年二月に、祖父より之等直筆の書を預かって秘蔵していた父重任が大暴風雪のため家屋倒壊の災厄に逢い、家財書籍等悉く吹雪の中に飛散し埋没したことがあった事で、急報を得て当時函館にあった祖父は驚愕悲歎し、父また沈痛傷心したけれども如何とも術がなかったのですが、春来り雪の消ゆるに従って現れ出でた書が、隣人の好意によって拾得に従って届けられて、大凡を回収し得たのでありました。之も又寛厚にして隣人に親敬された父重任の人柄によるとは云えそこには並々ならぬ神慮を感じられるのでありまして、後年筆者が本田霊学のために 微力を致し、又幽斎奉仕に関らせていただく縁の糸でもあったことを申して置き度いと思います。
三輪武と鈴木廣道の外に本田親徳全集に名の出ている門人には、古事記神理解を校訂した川口信之、産土神徳講義の筆記をした岩崎元巧等があり、夫々に調査も致してあり、全集巻末記にも記しましたが、二人の如く霊学の允可を得たと云う程でもありませんので、この章には他の諸国の多くの門下と共に割愛いたしたことを申添えて置きます。』(『本田親徳研究』)

鈴木重道氏は佐藤先生がお亡くなりになるまで、先生の著書(幽斎記録全4冊)出版に際し多大な貢献をされていた。廣道氏と共に本田霊学の歴史にいつまでもその名が刻まれることだろう。本田翁の著書に触れる機会を与えて頂いたことに、心から感謝申し上げたい。