「本田親徳研究」(鈴木重道氏)を参考に本田霊学の継承について御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。

 

 

 

**********************************

 

『本田親徳と長沢雄楯
本田門下の中で特に霊学の理論方面を伝えたのは副島種臣であるとは当時より己に同門の誰もが認めていたのであって、彼の社会的地位が他の者より隔絶していたからではないと思われます。従って私は先ず之を取上げたのでありますが、併し之は主として所謂皇法(皇学〉の面であって、鎮魂法帰神術(法術と称する〉の面で第一人者であったと申すのではないのであります。勿論鎮魂法に於ては師に学んで相当達していたと考えられますが、やはり主とする処は皇学の面でなかったかと思うのであります。之に対して皇学の面でも到って居りましたが、特に法術に於て悟りを開き、神祇の厳存を覚知して帰神術(特に他感法)に達したのは長沢雄楯でありまして、神慮を以て選ばれて本田霊学の後継者たらしめられたと思うのであります。そして長沢の継承を主流として見ますときに、同門に三輪武と鈴木広道があって、霊学の継承にそれぞれに役割を果していると考えられます。そこで長沢雄楯に入る前にこの両者について一応触れ度いと思います。』(『本田親徳研究』)

幽斎の修行は、皇法の学びと帰神術から始まる。


帰神術といっても、その者の霊魂がある程度浄まるまでは祓いだけで転霊は行わない。そして転霊が始まってから体を切るまで、通常は数年かかるだろう。この期間については、早い方で一年程度、中には16年かかった方もいるので、個人差が大きい(最後まで体を切れなかった方も少なくないが)。また、体を切ったからといって直ぐに口を切れるようになるわけではない。体を切る以上の期間を要する人もいる。


そのような道程を経てようやく一人前の神主となるが、それは新たなスタートラインに立ったに過ぎない。そこから地道にステップアップしてゆかなければ、審神者にはなれない。日々鎮魂法を修するだけでなく、皇法の勉強も怠ってはならない。そうした努力を何年も積み重ねて審神者になったとしても、神界のお役に立てるレベルになるには、さらなる研鑽が必要だ。長沢翁は天性の才能はもちろん、長年にわたり研鑽を積まれ、審神者として大成された。