明治の元勲にして本田親徳翁の高弟であった副島種臣翁の「蒼海窓閑話」(明治31年12月)を御紹介したいと思う。解説については自説であり、本田霊学としての公式見解ではない。
 

 

 

蒼海窓閑話卷之上

『大和國狹井神ハ大三輪ノ荒魂ナリ。和魂ニツキシ丈ノ荒魂ニテ、味□(耜)高彦根ノ神荒魂トハ異ナリ、故ニ別ニ神名ナシ。和魂ハカリニテハスマヌ者、其故ニ荒魂ヲツケシナリ。』(『副島種臣全集3』)

狹井神社は大神神社の摂社であり、大物主大神の荒魂を祀ると言われている。
大神神社の御祭神は、出雲国造神賀詞では大穴持命の和魂、日本書紀では大己貴神の幸魂奇魂とある。


『乃ち大穴持命の申し給はく、皇御孫命の静まり坐さむ大倭國と申して己命の和魂を八咫鏡に取り託けて倭大物主櫛厳玉命と御名を称へて大御和の神奈備に坐せ、』出雲国造神賀詞


『于時、神光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此国乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」是時、大己貴神問曰「然則汝是誰耶。」對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」大己貴神曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。今欲何處住耶。」對曰「吾欲住於日本国之三諸山。」日本書紀

昭和43年4月に、佐藤先生を審神者として、中山和敬宮司(当時)の同席のもと、大神神社で深夜に公式幽斎が行われた。その時に中山宮司に対して次のような御啓示があった。

中山『当大神神社の御祭神の御神名に就き、大国主命の和魂。大国主命の幸魂、奇魂と、両様に伝承されて居りますが、此の和魂と、幸魂、奇魂 との御関係に就いて御啓示を賜り度く存じます。』


御啓示『此れは即ち、皇学、現代の言葉にて語る。霊学と申すものを学ばずんば、解決出来ぬ。然りと雖も語る。

先ず和魂、汝達この吾が大神、大国主の神に非ず。大地、大国主の神の別の活用と為して、和魂、大物主の神なり。

この御魂、即ち奈良の都を治め給う天皇命に憑依つきて、天皇命の顕身をも守護り給う和魂。大和大物主、奇瓺魂(くしみかたま)大神と汝達は申して居るも、他に神名の活用がある。

幸魂、奇魂、此の活用、日本書紀、古事記、記載して居る如く、大和大物主、奇瓺魂大神と申して良い。全く書紀、古事記に記載して居る神の活用なり。故に大国主神に非ず。

又狭井神社の所に大物主神の荒魂とあるが、此れは非が事なり。大物主神の荒魂と言う事は違う。それ故、鈴木重道、伊勢大審神者に聞くべし。大国主神の荒魂に非ずと汝達は混同致して居る。大国主神の荒魂と申す神にて、大物主神の荒魂に非ず。良く思考致す可し。大物主神の荒魂に非ず。』(「古法式幽斎記録撰」)

大国主神、大物主神、大穴持命、大己貴神の御神名ごとの意味の違い(神の働きの違い)を知ることが重要。
例えば大国主命は多くの「亦の名」を持つ。大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇都志國玉、大己貴命、於褒婀娜武智、大穴持命、大物主神等々。この「亦の名」とは、単なる別名ではない。大国主神が広大な働きを持つ神であるために、顕界に働きを及ぼす際に、その働きごとに個別の神名が与えられている。つまり大元の神は大国主神だが、各「亦の名」の神々は必ずしも同じ神とは言えない。