以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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『○天津祝詞の大祝詞事を宣れ。
天津祝詞は、古事記〔天の岩戸〕の件に『天の児屋の命(日本書記では、中臣連の遠祖(トオツオヤ)天児屋命、神の事を取る宗源(ミナモト)なり。故(カレ)、太占(フトマニ)の卜部(ウラベ)を以て仕え奉る。とある)、 太祝詞(フトノリト)言寿(コトホギ)白して』と在る。此の天の児屋の命の神感に因り宣られたものを、神武天皇元年六月に「命天種子命定祓之辞詞夫矣」とある通り天種子命(中臣氏の遠祖)に命じて作らせたものである事は、延喜式 (弘仁式・貞観式の後を承けて編修された 律令の施行細則。平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記す)にも (大祓詞の起元」として載って居る処である。此の「天の児屋の命の神感 (幽斎問答での神霊のお答え)に因り宣べられたものを」とある「神感」は天の児屋の命が天つ神として活躍されて居られる故に此の様に教示されたものであると思うのである。
太祝詞事を宣れ。太祝詞に就いて、本田翁は「太祝詞は其の祝詞の中の最第一に位する大(ダイ)祝詞なり」と述べて居られる。幽斎問答でも「太祝詞の太とは、太卜(フトマニ)の太であり、霊交(ヒマジ)わるもの。神(幽の霊)と人 (顕の霊)との霊交わらせる詞(コトバ)なり」と申して居られる。本田翁は「太卜(フトマニ)」に就いて次のように述べて居られる。
「此のフトは霊交(ヒト)なり。マニは真根なり。根は似(ニル)なり。霊気の左右旋する即ち感合妙交する形をマネブなり。漢字で書くと学(マネブ)となる。フトマニは天帝の御仕業に協(シタガ)うか協はないかと思いめぐらし賜う事である。現霊を以て幽の霊に問う事である。卜相(ウラヘ)は幽霊(ウラヒ、卜占)の事である。
フトは霊交であるけれども、人はその霊交を見ること、聞くこと、云うこと、砥むること、握ること、踏むこと等何れも不可能であれば、其の霊魂を活用して天地の真象に因って之を観ずる、万物の音声に因って之を察し、天数に因って之を計るのみである。故に神明が何事も察し、観じ、計算し賜う事の精微である事には、到底及ばないものである。然れど、吾始祖より伝わる此の神卜法あり。」
太祝詞の太は霊交の意であることは、祝詞其のものが、神明の感応を受け神人合一の境地に立つべきものでなければ成らない。故に祝詞文の構成には次の三要件を必要とする。
1.荘厳であるべきこと
2.古雅であるべきこと
3.流暢であるべきこと
そして奏上致す時は浄心と真心を以って対するべきである。太祝詞事を宣れ、である。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)