以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。

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(注)「善言美詞」では「天津罪」を「天の経綸を阻害し、或いはこれを紊乱(みだすこと)せしむる行為を言う。天然自然に賦与せられた水力、電磁力、地物、鉱物、山物、動植物等の利用開発を怠る罪を言う。」「従来は文明だの進歩だのといっていたが、全然穿き違いの文明進歩で、一つ調子が狂えばたちまち飢餓に苦しむようなやり方、現在、世界各国の四苦八苦の有様を見ても、人間が如何に天津罪を犯しているかが解る。」、故に天賦所生の人間はその智能を啓発し、以て天恵の福利を開拓して文明の利用を研究し、その国土を経営するは人生李根本天則たるなり。」とある。


この視点は人類が地球を破滅に導く元凶となることを予見しているように思う。勿論、大祓祝詞を奏上すれば、環境問題や戦争や飢餓が解決するわけではない。だがその思いを人々に自覚させるために、国を挙げてこの祝詞を奏上する意義はあると思う。

(注)「善言美詞」では「国津罪」を「地上の経綸を分乱する罪なり。天賦の国の徳、人の徳を傷つける罪を指す。」「世界の区分には、地理学上と国魂上の国別がある」とする。

 

これは物理的な罪と霊的な罪の両方があることを示唆している。
これら出口翁の見解は、文面上の字句を追いかけるような学者とは格段の違いがある。このような解釈は従来の古事記のお伽話的解釈ではなく、本田翁の「学則」にみられるような科学的な視点を意識しているのだろう。