以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。



******************

 『○下津磐根に宮柱大敷立、高天原に千木高知て、皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて、


 下津磐根に官柱太敷立。とは堅固な岩、基礎の確(シッカ)りした土台に立派な宮殿を立てた。の意である。
高天原に千木高知て。とは高天原に届けよとばかりに社殿の屋上に千木 (鎮木・知木・氷木)を高々と掲げて、の意である。
 皇御孫命の美頭の御舎仕奉りて。とは皇御孫命、即ち邇々芸命が住まわれる、麗しい宮殿を造営し奉る。の意である。
 此の条の、邇々芸命の官殿を造営し奉る、此の事は設神理であって、正神界の神々は万物を造化生育の根元の神威を以て活躍して居られるので宮殿なる所にのみ住むと申す事はない。祝詞文は神徳を讃える詞を奏上致して居るもので、神の居られる所を人智を以て想定したものである。我が国では神々の御座す処として、自然の崇厳な森林とか、山又滝など崇高清澄なる神神しい所に神社を設けて居るもので、垂仁天皇廿六年十月に、倭姫命によって伊勢国五十鈴の川上を、天照皇大神の御鎮座地として、伊勢神宮は造営され今日に及んで居る。
 各国々に大・小の神社が在り氏子達が先祖から受け継いで祭祀して居るものである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)

(注)「読み方」では、「下津磐根に」を「地下にある岩に」。「宮柱大敷立」を「神殿の柱を造営して」。「千木高知て」を「千木を付けて高大に造り構えて」。「皇御孫命の」を「天照大神のご子孫の天皇の」。「美頭の御舎仕奉りて」を「若々しく生き生きとした御殿をご造営もうしあげて」。そして現代語訳として「地下にある岩に神殿の柱を造営して、高天原に向けて[屋上の両端に] 千本を付けて高大に造り構えて、天照大神のご子孫の天皇の、若々しく生き生きとした御殿をご造営もうしあげて」と説明する。ここで皇御孫命を「天照大神のご子孫の天皇」と考えるために、御舎もまた現実の「御殿」と解釈してしまう。

(注)「善言美詞」では、「下津磐根」を「地質が一大磐石の地、即ち神明の降臨ある霊域を指す」。「宮柱大敷立」を「宮居の柱を立派に建てること」。「千木高知て」を「屋根の千木を虚空(高天原)に高く敷きの義。千木は垂木なり、タリを約めてチという」。「美頭」を「麗しき、瑞々しきの意」。「仕奉り」を「ご造営の義」とする。