以前に書いた手記をここにアップしたいと思います。

「大祓祝詞」を佐藤卿彦先生の著書「顕神本田霊学幽斎記録篇」を手掛かりに考察します。



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 『○語問し磐根樹の立・草の垣葉も語止て。
語問し、とは言葉をかける。言葉を交わすの意。此の条は、前文にある「荒振る神の煽動に因って騒いで居た者等も神の祓い清めを受けて、荒振る神等共に清まり静かに鎮まった。事を「磐根、木立ち、草体の先端まで騒(ザワ)ついていたのが静かになった」と形容詞で現わしたものである。』(「顕神本田霊学幽斎記録篇」)


(注)「読み方」では、「物を言った(=物を言って抵抗していた) 岩や木の切り株、草の一枚の葉に対しても話すのをやめさせ(=物を言わないようにさせ)て」。

(注)「善言美詞」では「語問し」を「諸々の罪を糾弾すること」とする。「磐根樹の立」とは「草の枕詞」。「草の垣葉」を「草は青人草。民草のこと。また山河草木の末に至るまで、という意味」と。「語止て」を「議論なしに改悟させるの意」とする。

(注)「祝詞新講」では、「磐根」を「単に岩石を指したもの」。「樹の立」を「伐抗のごときものや、立ち枯れた樹の株などを指したもの」。「草の垣葉」を「草葉の一小片に至るまでもという意」。「語止て」を「物をいうのを止めさせての意」としている。そして「荒振る國津神どもは元より、物言ひ騒ぐ岩石や木の株や、落ち残つた草葉の末に至るまでも、残らす鎮めてといふ意に解くべきである」と説明している。